岸川珪花の考えごと

日々の思いや自主研究、好きな本や音楽のことなどなど

アレクセイ・キリーロフについて語りたい📚

 皆様こんにちは。今回は、ドストエフスキーの『悪霊』に登場するアレクセイ・ニールイチ・キリーロフという人物について語ってみたいと思います。

 キリーロフは、ドストエフスキー作品の中ではイワン・カラマーゾフの次に好きな登場人物です。イワンが「知的でミステリアスだけど、なんだかとても悩んでいる人」だとすると、キリーロフは「不思議で愛らしいようで、なんだかとても危険な人」という感じでしょうか。またしても研究者ではなくただのファンとして読み取った内容になりますが、よろしければどうぞお付き合いください🌸

 

※キリーロフという人物と作品の性質上、今回も自殺や殺人といった概念が繰り返し登場してしまいます。ちょっと今はそういう内容は気分が…という場合は読まれない方がいいかもしれません(しかし今回の方が、イワンの時よりややポップでくだけた内容も入っています)。

 

■目次■

 

『悪霊』の物語について

 まず、小説『悪霊』についてざっくりと説明いたしますと、これはロシアのある地方都市を舞台に、革命的テロ行為と秘密結社の離反分子を粛清することを目的として現れた者達が、関わる人々、そこに住む様々な人々の人生を狂わせ、破滅へと導いてしまうという物語です。この小説は1869年に起きた、モスクワの農業大学の学生が所属していた革命秘密結社脱退を申し出たことにより、首領とその同志に惨殺された「ネチャーエフ事件」をモデルにして書かれています。

 小説タイトルの「悪霊」とは、ルカによる福音書の第8章32-36節に登場する、自らを「レギオン」と名乗る悪霊たちを意味しています。レギオンは集団で一人の人間に取り憑いていたところをイエス・キリストにより祓われ、近くの山にいた豚の群れに取り憑き、豚達はそのまま崖をくだって湖で溺れ死にます。ドストエフスキー無神論的思想をその悪霊に見立て、それに取り憑かれた人々の破滅を描いたとされます。

 ところで、この悪霊「レギオン」は、映画『ガメラ2 レギオン襲来』の敵怪獣レギオンや、ゲームのDead by Daylightのキラー「リージョン」等でも取り上げられていて馴染みがある?存在ですよね。そうか、だから「愚連の狂乱」で走り回るのかリージョン。

 

 この小説、もう嫌になるくらい人が死にますし、死なないまでもかなり悲しい結末を迎える登場人物が多いです。私は特に後半、シャートフ夫妻がむかえる結末がしんどすぎて心が折れ、読むのに3回くらい挫折しました…苦笑

 じゃあなんでそんな本読むんだよ、と言われたら、ドストエフスキー作品ってやっぱり面白いんですよね。それに核心部分はかなり暗くても、要素としてはクスッと笑えるところもたくさんあります。登場人物の描かれ方に、いやなんでそうなるんだよというツッコミどころが微妙に多いのも魅力ではないでしょうか。

 ものすごく暗いけど時々笑える、そんな『悪霊』の世界。それでは一緒に巡っていきましょう、ほぼキリーロフの内容だけに偏ってますが!🙌

 

アレクセイ・キリーロフ、職業は建築技師

 キリーロフは、この物語の準主人公ともいうべき美学者ステパン先生の家に、先生の友人であるリプーチンによって突然連れ込まれる形で登場します。実はリプーチンもキリーロフもある革命サークルに入っていることをこの時点では隠しているのですが、リプーチンはまだ自分が教えてもらっていない今後の計画をキリーロフが知っているものと見て、カマをかけてやろうと思ってステパン先生の屋敷に連れてきます。リプーチンが口を割らせようと余計なことばかり喋るので、初登場時のキリーロフはイライラしてとても機嫌が悪いです(ちなみに、この時点ではキリーロフとステパン先生は面識がありません。他人ん家でなにしようとしてんだよリプーチン)。

 ここで、キリーロフの容姿ですが、26~27歳くらいで、きちんとした身なりをし、すらりと背が高いやせたブリュネットの青年で、青白くいくぶん薄汚れた感じの顔に、光のない黒い目をしていると書かれています。ちょっと漫画『炎炎ノ消防隊』のヴィクトル・リヒトを思わせないでしょうか(リヒト氏はウォーリーをさがせみたいなラフな服装をしていますが)。またキリーロフには喋り方にも特徴があり、とぎれとぎれで妙に文法がおかしい言い回しをし、少し長めの文を話そうとすると言葉に詰まってしまうとあります。

 初登場時から見知らぬ人の家でぷんぷん怒っているし(リプーチンのせいですが)、話し方は妙だし(江川訳版だと「十日前、X県で別れてきたです」とか言います)、急に話の内容に耐えられなくなって屋敷を飛び出して行ってしまうし(これもリプーチンのせいですが)、初見の印象は「なんか変な人が出てきたなあ」というところではないでしょうか。でも笑うと子供っぽい明るい表情になるともあります、ちょっと可愛いですね。

 その後、この物語の語り部であるG氏が、ステパン先生の使いでキリーロフの親友シャートフに会いに行った際、キリーロフとばったり出くわし彼にお茶をご馳走してもらうことになります。この時キリーロフは自分は少食で、明け方まで考え事をしながらお茶ばかり飲んでいるんです、というような平和な日常会話をします。が、先程ステパン先生の屋敷で出た話題に触れられ、ほぼ初対面のG氏に独自の自殺論を話したことで(他にも理由はあるかもしれませんが)、「こいつ明らかに狂ってるな」という印象を持たれてしまいます。せっかくお茶、ご馳走したのに。キリーロフって、この後も割といつもこんな感じの扱いです。行くとお茶を出してくれる変人という。

 キリーロフは建築技師で、少し前まで4年の間外国に滞在しており、舞台となる地方都市には表向きは鉄橋建設作業の求職に来たことになっています。しかし彼の本来の目的は別にあります。物語中でキリーロフがその目的をはっきり明かすのはもっと後なんですが、先に言ってしまいますと、それは「祖国の地で自殺を決行すること」です。うわあ…。

 

おまけ① イワン・カラマーゾフにはなぜか容姿の描写がない…

 ここまでキリーロフの容姿等について書きましたが、実は『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフにはなぜかこうした容姿の描写がありません。服装がきちんとしているとか、後半に精神が追い詰められてきたところで顔色等の描写があったりだとか、心配した弟アリョーシャがイワン兄さんは頑丈な体をしているからきっと助かりますよね、とかいうシーンはあるんですが、具体的な容姿の描写は覚えている限り一切ありません(もしあったらファンだから覚えてるはずなんですが…)。

 カラマーゾフ家長男のドミートリーにも、三男のアリョーシャにも、なんなら私生児のスメルジャコフにも具体的な容姿の描写があるのに、イワンにだけはない。なぜだろう。「情熱」と「愛」には実体があるけれど、「智」は概念なんだろうか。私は勝手に海外ドラマ「オックスフォードミステリー ルイス警部」でローレンス・フォックスが演じるハサウェイ刑事みたいな人を想像していますが、どうでしょうか。

 

▽海外ドラマ「オックスフォードミステリー ルイス警部」公式サイト

www.mystery.co.jp

 

おまけ② ドストエフスキー作品中屈指の、輝けるワースト登場人物たち

 『悪霊』には私がドストエフスキー作品で2番目に好きなキリーロフが登場しますが、同時にドストエフスキー作品で最も嫌いな(いや失礼、シン・メフィラス星人にならって「苦手な」と言いましょう)人物が2人登場します。それは主人公ニコライ・スタヴローギンと、準主人公ステパン先生の息子ピョートル・ヴェルホヴェンスキーです。

 ピョートルは陰謀の首謀者として暗躍し多くの人を陥れ破滅させ、場合によっては殺害させる人物です。そう、彼は自分は直接手を汚しません。一方ニコライ・スタヴローギンは、並外れた美貌と能力・魅力を持っているけれど、おそらくはそんな人生がとても退屈なので他人にちょっかいを出して破滅させ、へえそんな風になるんだ!まあ面白いかと思ったけど結局つまんないからどうでもいいや、ということを悪魔的な深刻さと頻度で繰り返す人物です。2人とも作中での悪事を数えると切りがありません。うーん、好きになりようがないですね!

 ちなみに「スタヴローギンの告白ーチホンのもとで」という章は、そのあまりにセンシティブなテーマから当時雑誌掲載を断られた程の内容です。新潮文庫江川卓訳版では校正刷版が下巻末に独立して配置されているんですが、それはどぎつい。私は子供が酷い目に遭う話は嫌いです。一方、光文社古典新訳文庫亀山郁夫訳版はその章の初訳となる版を採用し、物語上もともとあるべきだった箇所に配置しています。

 また、亀山郁夫訳版のピョートルは「ですます体」で喋るので、同じことをやっていても少しばかり読んだ時の不快感が薄れます。もしかしたら読者に対してそういう気遣いをしてくださったのかもしれませんね(?)。

 

キリーロフの愛らしい側面:魅力ある変人

 キリーロフの初登場シーンで人物の概要についてざっと話せた気がするので、ここからは彼の愛らしい?側面について語っていきたいと思います。奇妙で独特の魅力がある人物です。

 

みんなのお茶所🫖

 キリーロフは紅茶が好きで、夜通し考え事をしながらお茶を飲んでいるし、人が自宅に訪問すると割と誰にでも無条件でお茶を出してくれます。だから登場人物達はお茶を飲みによくキリーロフの元を訪れます。

 しかしお茶をご馳走になりながらも、そうした客人達はG氏と同じようにキリーロフのことを「あいつは変人だ」と思っています。お茶はもらうけどあいつは頭がおかしい、頭がおかしいけどお茶はもらっとく。ピョートルに至っては、キリーロフは近いうちに自らの陰謀のためにその死を利用するためだけの存在だと認識していて、キリーロフ自身もそれを理解していますが、ピョートルは平気でお茶を飲みに来るし、キリーロフも平気でお茶を勧める。人が集まり、彼らが家の借主であるキリーロフの存在を無視して話し込んでいても、平気でお茶を勧める。なんだか変人マスターの無料喫茶室みたいな扱いになっています。お茶をもらうんだったらもう少しキリーロフに敬意を払ってもいいんじゃないのかと思いますが、キリーロフは気にせず「運動後に冷えたお茶はいいですよ」とか言っている。

 キリーロフはいい意味でも悪い意味でも、基本的にはいろいろなことを意に介さないキャラクターです。そんな飄々としたお茶所キリーロフ、ちょっと愛らしくないでしょうか?笑

 

シリアスにボケをかますキリーロフ

 キリーロフは話し方に特徴があるという話をしましたが、その特徴と真面目で冗談を言わないという性質のせいで、逆にシリアスなシーンで微妙にボケをかましているようなことがあります。彼はなぜか母国語がカタコトなんですが、江川訳版だと「ぼくは誇りを感ずるですね」とか「きみからから余分な時間の贈り物、ぼくは欲しくないですね」とか、ところどころ少々奇妙な言い回しで話しています。それがちょっと可愛い。

 また、真面目だけれど受け答えがなんだかトンチンカンなことがあります。例えば、スタヴローギンに「もしも自分が過去に月の世界で悪事の限りを尽くし、そのせいで月の住人達から永遠に呪われることになったとしても、今この瞬間に地球にいるのだとしたらそんなことなんでもないと思わないか?」という例え話をされた時、「ぼくは月にいたことがないからわからないです」と真面目に真剣に返します。いやそりゃそうだろうよ。スタヴローギンだっていたことあると思って話してないよ。

 他にも、親友シャートフの元に離れて暮らしていた妻が妊娠して帰ってきた際、出産が近づいているから手伝いの人を貸して欲しい、と言いにきたシャートフに対し、割とシリアスなシーンであるにも関わらず、自分はお産の手伝いができないと言おうとしてうまく言えず、「ぼくはお産がまずくてね」等と自分が産むかのような言い方をしてしまう。いやそれはわかってるよ、何を産む気なんだキリーロフ。

 

一見ちぐはぐな行動

 キリーロフは本人としてはブレない軸を持って生きているんですが、それが外から見ると相反する要素が共存しているようで、それらがどう見ても矛盾していて奇妙に思われます。

 例えばキリーロフは健康にとても気をつかい、背中を鍛えるために外国からゴムボールを買っていたり部屋で体操をしたりしているシーンが登場します。しかし彼は登場時点から一貫して自殺を決意しており、意志は最後まで変わりません。他の登場人物からは、自分で死ぬことを決めていて長生きするつもりもないのに、なぜそこまで健康に気をつかうのか不思議がられたりします。また、キリーロフは貧しい生活を送っていますが、自殺用に高級なピストルを買い、それをとても大事にしています。スタヴローギンが決闘沙汰になった時にそのピストルを借りるのですが、必要なものは全部準備できていますよ、と自慢します。自分が死ぬための道具を自慢するのかこの人。

 それでいてスタヴローギンに君は子供が好きなんだから人生も好きですね、と言われると、人生も好きですよ、と彼は答えます。

 キリーロフは健康に気をつかい、人生も愛しているという自殺志願者です。キリーロフが自殺をする動機というのは人生に悲観して死にたいということではなく、自分の思想を実証したいがためなので、死ぬ瞬間までは最善の状態で生きていたいということなんでしょう。普通の感覚だと理解し難いですが、自分なりにブレない軸がある人物なわけですね。だからって「とてもいいですよね!」とも言い難いけれど…これ、可愛い側面の項目に入れる内容じゃなかったかもな(じゃあなんで入れたんだ)。

 ちなみに、キリーロフはこの時間に起きるぞ、と念じた時間きっかりに起きられるという特技があるみたいです。その特技、私は大変羨ましいです。

 

おまけ③ GIFアニメにしてみたい、キリーロフの乗馬

 スタヴローギンの決闘の立会人になるため、キリーロフが決闘場所にスタヴローギンとともに馬で向かう場面があります(変人扱いだけれどなにかと頼られるキリーロフ)。スタヴローギンは元将校なので普通に馬に乗れるんですが、キリーロフは乗馬経験がないので扱いに馬が抵抗し、時々垂直立ちして振り落とされそうになります。が、彼はそれを全く意に介さず大事なピストルの箱も離さない。つまり美男スタヴローギンがスマートに馬で走っている横で、暴れ回る馬に真顔のキリーロフが乗っているわけです。なんかちょっと静かにおかしい。GIFアニメにしてみたいような気がしますね(?)。

 

小さい子のお守りもする優しさ、しかし…

 スタヴローギンが決闘の立会人になることを依頼しにきた晩、キリーロフは借りている部屋で、家主である老婆の孫の、女の赤ちゃんをボール遊びであやしてあげていました。その後、スタヴローギンに尋ねられ、子供は好きですよ、と答えます。

 こうした子守りもするという優しさや、相手にどのように扱われているかにあまり関わらずお茶を勧めるところや、ずぶ濡れのスタヴローギンが自室の床を汚してもそれはあとでぼくが濡れ雑巾で拭いときますから、など言ったりする鷹揚さから、キリーロフを『白痴』の主人公である善良なムイシュキン侯爵と同様の人物と考える人もいるようですね。こうした要素は、キリーロフという人物の大きな魅力だと言えると思います。

 しかしこの一見「鷹揚さ」に見える面は、実はこの人物の危険な側面にも直結しています。それは言い換えれば、恐ろしいまでの「無関心」です。

 

キリーロフの危険な側面:徹底した無関心

この世は全て素晴らしい

 スタヴローギンに尋ねられて子供は好きだ、と答えた直後、彼は自分はこれから永遠に辿り着こうとしていて、とても幸福だと話します。そして木の葉を見たことがありますか、木の葉は素晴らしい、この世の全てが素晴らしいと語ります。この部分だとああ、なんだか自然も愛する仙人みたいな人なのかなあという印象を持ちますが、しかし。

 キリーロフは先程まであやしていた赤ん坊について、あの子の母親は病気だから、いずれあの子は一人でこの世に取り残されるだろうけれど、それも素晴らしい、と口にします。そしてスタヴローギンが、その場合あの子は餓死したり誰かに乱暴されるような危険もあるかもしれないけれど、それでも素晴らしいのか?と尋ねると、それも素晴らしいと答えます。あの赤ん坊を殺してしまう者がいても素晴らしいし、殺さない者はもっと素晴らしい。そういうことを含めてこの世の全てが素晴らしいと理解できるようになれば、人は直ちに幸福になれる、と。「え?」っとなりますが……はい、ヤバイ人という認識で正しいと思います笑

 おそらくこの部分でキリーロフが言っているのは、「この世では全て起こるべきことが起こるべくして起きているのだから、ありのままの状態で世は素晴らしい」ということだと思います。そのことを理解できたら人間は、今のままの状態で自分はとても幸福なのだと理解できる。そうしたら自分がこれ以上幸せになるために人を殺したり乱暴したりする必要などないと知るだろう。その結果、悪事を働く者などいなくなり、皆が即座にいい人間になれる、と話します。そしてスタヴローギンに訊かれて、彼は自分はいい人間だ、と答えます。

 スタヴローギンが直後に認める通り、キリーロフはいい人間、つまり自分が今対面している物事に対しては善良な人間として振る舞っている、といえます。しかしありのままの状態でこの世の全てが素晴らしいと思っているので、自分が関わらないその前後で悪いことが起こっていても、それは起こるべくして起きたこと・起きることだから仕方ない、と考えているようです。この世の全てが素晴らしいとわかる時が来れば、人類はとても幸福になれ、全員いい人間になれるけれど、まだその時が来ていないから仕方ない。そしてその時は来たるべくして来るから、まだ現在のあるべき形で存在しているこの世の物事に自分は介入する気はない、と。これは鷹揚なようで、ものすごく危険な無関心さです。

 実際、キリーロフは自分が直面していることに対しては割と誠実ですが、物事の前後関係・因果関係に非常に無関心です。こうしたスタンスが物語中で何事にも影響しないかというと、そんなことはありません。キリーロフはこの無関心さで、支離滅裂な形で悪事の片棒を担ぐことになるのです。

 

物事の因果関係をあまり気にしないキリーロフ、その結果…

スタヴローギンの「悪ふざけ」の結婚で起こってしまった殺人事件

 この物語を読んでいてキリーロフの行動に倫理的なちぐはぐさを感じることが多々あるのですが、その中のひとつが「スタヴローギンとレビャートキナ嬢の結婚に対する対応」です。

 ニコライ・スタヴローギンは、一度スキャンダルを引き起こしてこの物語の舞台である地元の町を去った後、秘密裏に精神障害のある(作中では「神がかり」と表現されていますが)足の悪いレビャートキナ嬢と結婚してまた舞台の町に帰還します。彼らの結婚は身分的にも不釣り合いであり、このミステリアスな結婚は、きっと高尚な愛があったんだとが、自己犠牲だとかいう憶測を呼びます。しかし実情は、博打で負けてむしゃくしゃしたスタヴローギンが、行きつけの酒場でウェイトレスをしていて客からいじめられていたレビャートキナ嬢に目をつけ、こんなヤツとこの俺ともあろう者が結婚したらさぞかしスキャンダラスで面白いだろう、という悪ふざけによって行ったものだということが、スタヴローギン本人の口から明かされます(最低ですね)。キリーロフの親友であるシャートフは当時からその真意を察し、レビャートキナ嬢に優しい言葉をかけて惑わせるスタヴローギンに対し、そんな事をしたらこの人を駄目にしてしまうからやめろと再三苦言を呈します。一方キリーロフの方は、スタヴローギンに頼まれてこの秘密裏の結婚の立会人になっていたことが明かされます。なにしてんだよキリーロフ。

 この結婚は、スタヴローギンの愛を真実だと信じていたレビャートキナ嬢が、その真相に勘づいて終わりを迎えます。妻と、金を揺すってくる彼女の兄レビャートキン大尉の存在が忌々しくなったスタヴローギンは、脱獄囚のフェージカが彼らの自宅に押し入り、強盗殺人を犯すのを黙認します。ちなみにこのフェージカは、革命サークルの首領ピョートルがスタヴローギンのためにセッティングして差し向けた者です。そしてピョートルはフェージカの潜伏先として、キリーロフの借家を提供していたことも明らかになります。ますますなにしてんだよキリーロフ。

 キリーロフがレビャートキナ嬢たちにどのように接していたかと言えば、別にスタヴローギンの妻として相応しくないから死ねばいいなどと思っていたわけではないようで、酔っ払った兄のレビャートキン大尉が彼女を鞭で殴っているのを見て怒り、鞭をひったくって窓から捨てたりもしたようです。その一方で、何かをしでかそうとしているフェージカを匿い、聖書を読んでやったり、殺人を犯して帰ってきた後もじゃがいもとコールドビーフを料理しておいてあげたりしている(自分で料理もするキリーロフ)。

 そのフェージカにピョートルがぶっ飛ばされて気を失った時も、キリーロフは水をかけて正気に返らせ、体調を心配したりします。その結果、お前もし逃げたら殺すからなと、ピョートルに額にピストルを突きつけられます。キリーロフは彼が嫌いですし、ピョートルはその日のうちに、革命サークルの罪をキリーロフに被せて自殺させようとしています(もしキリーロフが自殺しない場合は自分で殺害して偽装工作をしようとさえ考えています)。しかもピョートルはその出来事の直後、サークルの他の会員達にキリーロフの親友シャートフ殺害を実行させます。つまりそのままピョートルを野放しにしたらまずかったわけです。なにをしたらなにが起こるかにもっと関心をもってくれよキリーロフ。

 

親友の死に利用された自殺

 キリーロフは外国にいた頃、自分が所属する革命サークルに対し、自分はいずれ自殺することを決めたから、サークルの目的のためにその死を役立ててくれと伝えていたことが明かされます。そしてそれと引き換えに、死ぬ時はどうしても祖国で死にたいから、旅費を工面してもらうという取引をしています(そのことについてピョートルに指摘された時、借りた旅費は帰国してから返済したと反論していますが)。

 キリーロフが自殺するのは、自分の理想を実行し世に知らしめるという、彼にとっては最上級に尊い目的を果たすためです。しかし革命サークルにそれをいいように役立てて欲しいと伝えた結果、その死は彼の親友シャートフの殺害の実行と、その罪を被せられるという形で利用されてしまいます。

 殺害された日、シャートフは別れて暮らしていた妻が帰ってきて、赤ん坊を出産し、幸福の絶頂にいました。その赤ん坊はスタヴローギンの子でしたが、シャートフは3人で生きていこうと決意し、キリーロフもそれを祝福しています。

 ピョートルがシャートフの死を告げた時、キリーロフは驚きます。しかしすぐにお前が殺したな、昨日から見抜いていた!と叫びます。ピョートルには見抜けなくてどうするんだと嘲られますが、キリーロフはさらに、お前はジュネーヴでシャートフに唾を吐きかけられたことを恨んで殺したんだ、と言い募ります(危険なヤツになんてことしてんだシャートフ)。

 一度は激怒してピョートルを撃ち殺そうとするようなそぶりも見せ、罪を被る遺書を書く事を拒否するキリーロフですが、しかしながら彼は結局、親友シャートフ殺害の罪を被ることも構わないといって承諾します。起きたことは起きたこと、そしてこの世の物事は全て起きるべくして起きている、ということでしょうか?いや、無責任がすぎるぞキリーロフ。自分がなにをしたらなにが起こるかに事前にもっと関心をもってくれ。

追記:キリーロフはシャートフの死を聞いて少なからずショックを受け、自分を含め誰も彼もがみな卑怯者だとわかったから、今すぐ自殺したいと言います。シャートフに迫る危険を知っていながら、最悪の結末を防ぐ努力をしなかったのだから、結局は自分がシャートフを殺したも同然だと考えたのかもしれません。

 

おまけ④ 不器用なるシャートフ

 革命サークルの仲間に殺害されてしまう元大学生イワン・シャートフは、真面目で正直者だけれど偏屈で、不器用で、怒りっぽくて、恥ずかしがり屋で、ちょっと(かなり?)傲慢という癖のある人物です。親友であるキリーロフとは資本主義社会での労働を体験することを目的に、一緒にアメリカにまで行った仲ですが、物語の語り手G氏にキリーロフのことを尋ねられると、「ロシアの無神論なんて駄洒落の域を出たことがない、あいつは紙でできた人間だ」とか言ってしまいます(そういうとこだぞシャートフ)。

 そういった気難しさで誤解?されがちなシャートフですが、その実態の不明瞭さから賛美されたり慕われたりしがちなニコライ・スタヴローギンが、本質的にはどういった人間なのか、割と正確に理解している数少ない人物でもあります(おそらく彼の妹のダーリヤも同様です)。スタヴローギンはざっくり言うと並外れた能力はあるけれど、何事にも熱中できないという性格です。自分はこういう考えを思いついて、人によってはそれは生涯をかけて追及するテーマになり得るけれど、自分で追及する気力も集中力もない。よし、それでは誰かにこの思想を移植してどうなるか見てみよう。そんな彼の暇つぶしの思考実験みたいなものに使われてしまったのがシャートフとキリーロフという存在です。キリーロフはそうした意図を知ってか知らずか(スタンスが徹底した無関心だからなんともいえませんね)、スタヴローギンのことを自分に命をかけるべき啓示を与えてくれた存在として感謝していますが、シャートフは自分たちがそれぞれ真逆の思想の種を与えられ、経過を観察されていた実験動物のようなものだということを自覚して怒りを覚えてもいます。

 また、スタヴローギンがレビャートキナ嬢と結婚した動機を知っている数少ない人物でもあり、その怒りから客人の前で突然スタヴローギンを無言でぶん殴ったりもします(言葉で糾弾すればいいのに、そういう不器用なところがシャートフらしさでもあります)。それを見た人々は、元々は所有する領地の農奴の息子であるシャートフによる、この上なく無礼な振る舞いに耐えた聖人?としてスタヴローギンを讃えてしまいます。しかし後にシャートフがスタヴローギンに対し、そうした屈辱的な出来事があなたの退屈な人生にとってはとっても刺激的で愉しかったんでしょう?と詰め寄ると、スタヴローギンは苦々しげにそれを認めます(そんなこと認めないでくれよ…)。

 そうした慧眼からか、シャートフは革命サークルに見切りをつけ、元の仲間たちに裏切り者として目をつけられてしまいます。スタヴローギンはその危険性についてシャートフに警告しますが、彼はあんな奴ら恐るるに足りないと啖呵を切ります(本当は恐れるべきだったんですけどね…)。

 シャートフは妻が出産した晩、革命サークルの仲間に呼び出され、心配した彼女が止めるのも聞かず、これで過去に決別するんだと言って出かけていきます。これは最後の一歩であって、これから先は新しい道が開ける。これから先はもう昔の恐怖なんか思い出すこともないんだ!…そんな言葉を残して、彼はそれと知らずに死地へと赴くのです。可哀想なシャートフ、19世紀からすでに、フラグというものは存在したのでした。

 

キリーロフの物語の結末

人間の自由を証明するための自殺

 さて、キリーロフが自殺する理由です。彼は決行する直前、ピョートルにその目的を尋ねられて、僕は自殺して神になるつもりだ、と答えます。この時点でああもう駄目だこの人…と言う感じもしますが、もう少し丁寧に話すと、「僕は自殺を決行し、人間が神から自由であることを世に証明する最初の人柱になる。僕がそれを決行することで、後の世では人間自体が己れの命に対して主体的な意思を持った存在、すなわち誰に支配される存在でもない、己れにとっての神になれるのだ」いうことを世に示したいがために自殺する、ということです。つまり人間は誰の力によっても支配されない、完全な個人の意志によって生きる存在だということを証明する。そのための究極の選択が己れの手で己れを殺すことだと。

 彼がなぜこのような思考に至ったかというと、実はキリーロフは父なる神を信じていないという意味では無神論者だけれど、人の子であるイエス・キリストの熱烈なファンである、という人物だからです。キリーロフは人間としてのイエス・キリストのことは熱烈に敬愛している、しかしその彼を自分の目的のために死なしめたという、父なる神という存在がどうしても受け入れ難い。だからその存在に服従することを拒否し、人間として新しい自由を主張する。

 こうした点において、ドストエフスキーの描く無神論者は、愛情深いが故にこの上ない苦しみを背負ってしまった存在、ということができるかもしれません。『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフは子供という無垢で弱い存在を、キリーロフは自分が最も尊敬し得た人間を犠牲にする権利など誰にも認めないと憤ります。イワンは荒野の悪魔に、キリーロフは黙示録の怪物に喩えられることがあるようですが、2人とも愛情が深いが故に天から堕ちてしまったという、非常に悲しい存在かもしれません。

 しかしながら、キリーロフが最後に明かす命をかけたこの決意を聞いているのが、彼が自殺を決行するか否かしか気にしていないピョートルだというのは皮肉なことです。

 

ホラーすぎる最期

 キリーロフの最期の描写は、なかなかにホラーです。

 ピョートルの指示により革命サークルの罪を被る遺書を描いた後、彼はピストルを手に隣の部屋に飛び込み、ぴったりと扉を閉めてしまいます。ピョートルは早く銃声がしないかとジリジリして待ちますが、ずいぶん時間が経ち、とうとう待ちきれなくなって、キリーロフが怖気づいたのではないかと疑って扉を開けます。すると蝋燭の灯りもない部屋の奥から、キリーロフが凄まじい形相で叫び声をあげて飛びかかってくるのを目にします。ピョートルは急いで扉を閉め、あいつは決意を覆した、俺がこの手で殺さなくては!と心臓をバクバクさせてピストルを構えます。しかし室内はシンと静まり返ってしまいました。死のような静寂。ピョートルは決意を固めて扉を開きます。この辺りからはもうホラーサスペンスです。

 扉を開けると、部屋の中には誰もいない。呼んでも返事もない。訝しんで、ピョートルが室内を見回すと…窓際の戸棚と壁の隙間に、キリーロフが身動きもせずにじっと立っている。蝋人形にでもなったかのように、虚空の一点を見つめて。ピョートルがぞっとしたことには、キリーロフは表情ひとつ動かしていないのに、こちらをじっと観察していることが伝わってくる。怒りに駆られたピョートルが彼の顔に蝋燭の火を近づけ、その肩を掴むと…キリーロフは頭で蝋燭をピョートルの手から払い落とし、無言のまま、その左手の小指に食いちぎる勢いで噛みつきます。

 ギョッとしたピョートルはなんとか指をもぎ離し、部屋から逃れ出ます。すると「今すぐだ!」という恐ろしい叫び声が繰り返された後…高らかな銃声が一発。

 …どうでしょうか。月の光だけで照らされた暗い部屋、その青い闇の中、壁と戸棚の隙間に石化したようにじっと佇むキリーロフ。こちらを見てはいないのに、なぜかこちらを見ていることが伝わってくる。顔にはなんの表情もないのに、彼はこちらを嘲笑っている。ちょっと描いてみたくなりませんか。

 

まとめ:愛らしく鷹揚、支離滅裂で、不気味な存在👻

 ここまで、私なりにキリーロフの愛らしい側面と危険な側面についてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。2番目に好きな人物だといいながら全面的に褒めてはいないし、もしかしたら「本当に好きなのか?」と思われてしまうかもしれません。しかし、好きな人物とはいえ自分が思い込んだ理想を投影するよりは、冷静にどんな人物かを受け止めていたい、というスタンスで描きました。かなり危険な人物ではありますもんね。キリーロフの魅力は、愛らしく鷹揚だけれど、支離滅裂なアンバランスさがあり、どこか不気味な雰囲気を纏う存在であることではないでしょうか。

 もし元気があったら、前回は思考的な部分に終始してしまったので、今度はイワン・カラマーゾフの恋模様と彼を取り巻く人間関係についても書いてみたいですね。

 

今回はこのあたりで。長い文章になりましたが、お付き合いありがとうございました🌸

それではまた!

竜舌蘭は、その生涯の最後に一度だけ花を咲かせ、枯死してしまいます。どこか切ないような生態です🌿