岸川珪花の考えごと

日々の思いや自主研究、好きな本や音楽のことなどなど

漫画を公開しました!

こんにちは、お久しぶりです。

この夏も非常に、いや過去にないくらいに暑いですが、いかがお過ごしでしょうか。各地で過去最高気温が記録され、地球温暖化が日常にいよいよ現実味を持って迫ってきていますね…☀️💦

しかし我が家の周囲のアマガエル達の間では、「この気温では人間の家のベランダには住めないらしい」ということが共通認識になったのか、今年はベランダでカエルの悲劇を見ないですんでいます。よかったよかった…。

 

さて、7月末に、私が去年から制作に取り組んでいた漫画が完成し、無事公開することができたのでこちらのブログでもお知らせいたします。講談社DAYS NEOに投稿し、全ページを公開させていただいております。

 

黄泉ノサイメ|作品詳細|DAYS NEO -デイズネオ- 

https://daysneo.com/works/1e887ce49ac23f4e078bb0fd2450840c.html

よろしければぜひ読んでみてください。生きることと死ぬこと、迷うことを巡るホラー漫画です。タイトルの「サイメ」は「賽目(サイコロの目)」と「境目・際目(さかいめ)」の意味です。

この漫画を作るにあたって、ストーリー構成の勉強をしたり本を読んで調査・研究したり、絵を練習したりと、いろいろ学びながら作業を進めたので完成まで時間がかかってしまいましたが、取り組む以前より表現できることの幅が広がったのでよい投資だったと感じています。加えて、読んでいただいた方の心に残るものがあったならさらに嬉しいです。

 

ここ最近は、長く継続していた作業には一息ついて、また興味のある本を読んだりして次の制作への情報収集にあてています。積読、ちょこちょこあって読まなきゃいけないのに、そういう時に限って違うものが読みたくなるのなんなんでしょうね…📚

結構前から『ブッダの真理のことば 感興のことば』(ダンマパダとウダーナヴァルガ)を少しずつ読んでいるのですが、まだ現状では全体の36%までしか進んでないみたいです。でも頭の中が雑念でうるさい時に読むとシーンと静かになるので私的にはとても良いです。

川崎悟司さんのインパクトあるイラストの『サメのアゴは飛び出し式〜進化順に見る人体で表す動物図鑑〜』『くらべる骨格 動物図鑑』も最近読んで大変面白かったです。ウツボって映画『エイリアン』のエイリアンみたいに、口の中にもう一つ口があるのか…としみじみしたり、蛇って肋骨を動かして進むのか…てことは、以前上野動物園でニシキヘビが脇腹を足が多い虫のように波打たせてまっすぐ前進してるのを見て「えっ」てなったけど、あれは肋骨が体の中で足のように動いていたのか…などと過去の謎が解けたりして興味深かったです(蛇の動きについては私のその解釈で正しいのかはわかりません…💦)

ところで上野動物園の近くにある国立科学博物館の地球館にはニシキヘビの骨格が展示されていて、ホントだ胸骨がなくて肋骨が開くようになってるんだ!というのを見ることができます。動物園で生きた動物を見た次に、科博で生物の内部構造を知ることまでできて、良い立地かもしれませんね🐼🔬

私は試験で点数を取らなきゃいけないとかいうプレッシャーがなくなった現在になってようやく、理系寄りの内容が面白く感じられるようになってきました😅

 

自作漫画は冊子として発注したので、9月のコミティアの出張編集部に持ち込みをする予定です。

それでは、また!

 

Twitter(現X)の写真スタンプの絵文字、厚塗りで立体感があって見てると結構面白いです。これはちょっと遊んでみました笑

 

kindleで読んでるので、わからない単語はすぐ辞書に飛べていいです。昨日は「禅定(ぜんじょう)」を調べました。

 

▽単行本は1,210円なのにkindle版は200円台とは…!?(2023.8.12現在)

 

ムーミンとモラン、ムーミンママとホムサ・トフト少年の物語📚

 皆様こんにちは。今回は、私が「#わたしを作った児童文学5冊」に選んだ『ムーミンパパ海へいく』『ムーミン谷の十一月』の中から、シリーズでも一番好きなエピソード二つについて綴りたいと思います。もう今年の8月も終わりを迎え、読書感想文の季節も過ぎようとしていますが、なんとか滑り込みでこの文章を書き上げることができました…!😂

 今回綴るのは、『ムーミンパパ海へいく』より「ムーミントロールと氷の魔物モランの物語」、『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』より「ムーミンママとホムサ・トフトの物語」です。それでは、どうぞよろしくお願いいたします🌻

 

■目次

 

Ⅰ 『ムーミンパパ海へいく』より:ムーミントロールと氷の魔物モランの物語

決して温まることのない存在と、成長していく主人公

 まずはじめに、ムーミントロールと氷の魔物モランの物語から綴りたいと思います。

 ムーミン族は寒さが苦手な生き物として、ムーミン・シリーズ最初の作品『小さなトロールと大きな洪水』に登場しました。そして寒さが苦手なムーミン族や仲間たちにとって、冷たさと死の雰囲気をまとったモランの存在は、シリーズ中長らく無条件に「悪」の側として認識されていました。

 主人公であるムーミントロールは初登場時、一緒に旅をするムーミンママや仲間たちをサポートしたり、持ち前の冒険心から周囲のキャラクターを助けたりもしていますが、まだまだ大人に面倒を見てもらわなければいけない小さな子供でした。そんなムーミントロールも、シリーズが進んでいくにつれてさらに多くのキャラクターと関わったり、危機的状況を切り抜けたり、どんどん内省的になったりして成長を遂げていきます。その彼がシリーズ中でムーミン一家が登場する最後の作品『ムーミンパパ海へいく』にて、「僕達はモランと意思疎通することはできないのだろうか、モランは一体何を考えているのだろうか?」という関心を持ったことから、彼らの関係が大きく動き始めます。モランは冷たいから皆から嫌われるようになったのでしょうか、それとも皆から嫌われたからあんなに冷たくなってしまったのでしょうか?❄️

 

モランの描かれ方の変遷❄️

冷たくて悪どい「不気味な怪物」

 モランが初めて登場するのは、第3作目の小説『たのしいムーミン一家』です。その時のモランは大切にしていた宝石「ルビーの王様」を、小さな二人組トフスランとビフスランに盗まれてしまい取り戻しに来たという役どころです。普通に考えたら貴重品を盗難にあった被害者なのですが、そのあまりにも不気味な存在感と、トフスランとビフスランがムーミン屋敷のお客になっているという事情があるので、逆にモランの方が悪者扱いになっています(この他にもトフスランとビフスランには窃盗癖があるというエピソードが作中で描かれますが、本人たちはそれが悪いことだとわかっていないので周りから不問に処されています。うーん、困った人達ですね💦)。

 初登場時のモランの姿は、挿絵を見るとなかなか不気味です。その最初の挿絵は、真夜中に、ムーミン屋敷の入口ドアの階段の下にトフスランとビフスランを待ち伏せて佇んでいる姿になっています。身体はこれ以降の作品に比べると小さいけれど、無表情に見開いた目がギョロギョロとしており、歯を食いしばった口元も無表情です。そしてこの時点から、彼女(モランは歳をとった女性のようです)の座った地面には霜が降りるという描写がなされています。

 『たのしいムーミン一家』では、この物語がモランの最初で最後の登場になる予定だったような書き方がされていますが、彼女はその後のシリーズでも登場することになります。次作『ムーミンパパの思い出』では子供の頃ムーミンパパがいた捨て子ホームの経営者、ヘムレンおばさんを食べようと追いかけていた化け物として登場し、その次の『ムーミン谷の夏まつり』でも世の中に存在する危険なものの例として言及されます。ここまでのモランは、とても冷たく、地面を凍らせて死をもたらすもの、小さい生き物を食べてしまう危険なもの、すなわち意地の悪い怪物として扱われていました。

 

決して温まることのできない「孤独な存在」

 モランの存在の解釈に転機が訪れるのは、シリーズ第6作目『ムーミン谷の冬』です。この小説で主人公ムーミントロールは初めて、例年は冬眠して過ごしていた冬の世界を、目を覚まして生きる経験をすることになります。

 先日この小説を再読したところ、ムーミンたちの冬眠の期間が11月から4月までだと書いてあって驚きました。つまり一年の半分は眠っており、春と夏と短い秋の間しか目を覚まして生きていないのか…!そんな風にして生きてきたムーミントロールは、初めて見る雪に覆われた静寂と極寒の世界に戸惑い、世の中がこんなに変わるとはモランが一万匹ほど土に座り込んだのではないかと考えたりします。

 この小説でモランが実際に登場するのは、冬にひっそりと生きる住人たちが大かがり火を燃やすシーンです。そこでムーミントロールが目にしたモランは、夏よりもずっと大きくなっていたと書かれています。モランはかがり火に無言で近づいていき、その上に座ります。すると炎は音を立てて消えてしまい、モランは次にその近くに置かれていた石油ランプに近づいていきます。しかしモランが触れるとランプの炎も消えてしまいます。この光景を見てムーミントロールは、モランが太陽を呼び戻す炎(ムーミン谷も冬のフィンランドと同様、太陽が登らない極夜(きょくや)が訪れるようです)を消してしまったと言って動揺します。しかし何度も冬を生きて来た経験を持つおしゃまさん(トゥーティッキ)は、「あの人は火を消したくてあんなことをしたのではない、温まりたいのに決して温まることができないのだ。だからこんなことになってまたきっとがっかりしているだろう」と答えます。

 第8作目『ムーミンパパ海へいく』の中で、モランは浜辺で独り、歌を歌います。それは私の他にモランはいない、自分だけがモランであり、この世で最も冷たいもの、決してあたたかくはならない、というものです。

 

ムーミントロールの成長🌱

冬の世界を生き抜き、一年中を知った最初のムーミン

 このシリーズの主人公ムーミントロールは、物語のスタート時点ではほんの子供でしたが、どんどん成長を続けていきます。第5作目『ムーミン谷の夏まつり』でスノークのおじょうさんと二人だけで他の家族と逸れてしまったりといった冒険もありましたが、その成長の最も大きなきっかけとなったのは、こちらも第6作目『ムーミン谷の冬』ではないでしょうか。

 毎年の通り家族と冬眠をしていたのに、真冬の最中に自分だけ目が覚めて眠れなくなってしまったムーミントロール。初めて体験する冬の気候や雪の世界にも戸惑い、夏の生き物と違って交流を嫌う冬の住人たちにもなかなか馴染めません。しかも氷姫の到来によって住処や食料を失った避難民がムーミン谷に押し寄せ、彼らをムーミン屋敷に受け入れて備蓄食料の管理をしたり、ムーミン屋敷の家主代理として住人間のトラブルを解決することまで求められます。この物語の時点でもムーミントロールはまだ子供なのですが、おそらく数ヶ月の間は他の家族のサポートなしでムーミン屋敷の家主代理を務めたわけです。本当にお疲れ様ですね…!😂

 この物語の中で、新しく体験する環境に戸惑い、自分が慣れ親しんだ世界を恋しく思うムーミントロールは、昔馴染みのリトルミイを含めて、会う人皆が冬が来る前の世界の思い出話に少しも付き合ってくれないことに不満を感じます。ここでムーミントロールは冬が来る前の世界を「あの本当の世界」と呼ぶのですが、トゥーティッキはだけどどっちの世界が本当かなんて誰にわかるの、と返します。

 全てを乗り切った物語の最後に、春になって目覚めたスノークのおじょうさんが芽吹いたクロッカスを見て「ガラスの鉢をかけてあげよう」と言うと、ムーミントロールは「そんなことをしないで、この芽も少しは苦しい目にあう方がしっかりすると思う」と誇らしげ答えます。

 

モランという存在への関心

 ムーミントロールは第8作目『ムーミンパパ海へいく』で、秋の晩にムーミン屋敷のベランダにムーミンママが灯したカンテラの明かりに引き寄せられてモランがやって来てしまったのをきっかけに、モランの存在に関心を持ち始めます。ムーミントロールは翌朝、モランが歩いて霜で駄目にしてしまった庭を歩き回りながら、世界中で独りぼっちとはどんな気分なのだろうと想像します。

 その後もモランのことが気になった彼は、ムーミンママにそのことを尋ねてみるのですが、ムーミンママの答えはこうでした。

 

・モランは怖いけれど危険ではない、しかし冷たすぎるから私達は嫌う。それにモランは誰のことも好きではない。

・誰もモランのことを気にかけないからあんなに冷たくなったのだろう、でもモラン本人もなぜそうなったのかなんて覚えてはいないし、きっとあれこれ考えたりもしないだろう。

・モランは雨か暗闇か、よけて通らなければいけない道端の石のようなもの。モランと話をしたりモランのことを話題にしたりすると、もっと大きくなって追いかけてくるようになるからしてはいけない。

・モランは明るいものを恋しがっているのではなく、明かりの上に座って火を消し、二度と燃え上がらないようにすることが目的なのだから、私達は気の毒がる必要はない。

 

 ムーミントロールがモランに対して興味を持ち、理解してみたいと思ったのは、彼が好奇心旺盛で想像力豊かな空想家の面があるからなのでしょうね。ムーミントロールは自分と違う存在がどんな風に考えて生きているのかに興味を持ち、自分がそういった存在だったらと仮定して、空想ごっこを始めることがあります。ムーミンママの話を聞いて彼は、モランに話しかけてやってもいけないし、モランのことを話してもいけないとはどういうことなのか?と考えます。もし誰からも関心を持たれず、そこに居ても居ないように扱われるならば、モランは生きていようと考えることさえ出来なくなり、その存在も消えて無くなってしまうのではないだろうか…。

 

☆ニョロニョロとモランという存在:「理解し難い不気味なもの」

 モランの他にも、ムーミンの世界には話題にすることがあまりよろしくないとされている存在がいます。それは永遠の放浪者「ニョロニョロ」です。

 ニョロニョロは船に乗っていつも旅をしている、言葉を発しない生物です。水平線に辿り着こうとしているとか、悪い暮らしをしているとか噂されていますが、その実態や目的は誰も知りません。また普段から身体に帯電しており、雷の時は特に危険だとかいった性質は知られています。

 ムーミンパパはその謎めいた存在に惹かれてある時ニョロニョロと一緒に旅立ち、しばらくの間、彼らと一緒に航海を続けます。そしてその結果、ニョロニョロは実は電気刺激だけしか感じることができず、電気が発生する場所だけを探し求めて旅をしているのだということを知ります。ミステリアスで自由、そしてどこかアウトローかつ孤高の存在なのかと思いきや、否応もなく電気しか感じることができない生物であるニョロニョロ。ムーミンパパは雷の下で激しく踊る彼らを見ているうちに、自分はその他にもさまざまなことを感じ、思考して生きることが出来るムーミン族なのだという自覚に目覚め、家族のもとへと帰還します。

 こうして考えると、ムーミンパパもムーミントロールも、世間的にはあまり理解されておらず、接触してはいけないと言われている不気味な存在に関心を抱き、交流を試みているんですね。やはり彼らは親子なのだと感じさせられるエピソードかもしれません。

 

モランとムーミントロールの交流

カンテラの明かりを追って島までついて来たモラン

 さて、ムーミントロールとモランの交流が描かれる第8作目『ムーミンパパ海へいく』です。ムーミン一家が転居するため孤島へ向かった夜、ボートの船首に灯されたカンテラの明かりを追って、モランは海を渡ります(モランは自分自身の冷気で足元に氷の島を作ることが出来るようです)。ムーミントロールは夜にその泣き声を聞き、何かが島にいるらしいことに気づきます。彼はその正体を知りたくなかったのですが、夜の浜辺に美しいうみうまの姿を見に行ったある晩、自分が持つカンテラの明かりをじっと見つめるモランに遭遇してしまいます。

 ここで、ムーミントロールはモランの存在に関心を持ったとはいえ、この時点でもモランを「関わるべきではない厄介ごと」と考えており、積極的に交流したいとは全く思っていませんでした。しかしカンテラの明かりを見ている間はモランはじっとしていて害はないし、自分が明かりを見せに行けば家族の生活と島にも平和が保たれるかもしれないし、浜辺に行けばまたうみうまに再会できるかもしれないと考えて、家族には秘密にして、毎晩浜辺にカンテラを持って出かけるようになります。

 いつものようにカンテラの明かりを見せに行ったある晩、モランはカンテラではなくムーミントロールのことを見つめます。それはとても冷たくて何かに怯えているような目でした。しかしその直後にうみうまが現れ、あなたは私の月の光を邪魔していると言ってカンテラをひっくり返します笑

 月の光の下で踊ることと、その光に照らされた自らの美しさにしか関心がないうみうまにとって、カンテラの明かりは野暮で邪魔なものです。また忌み嫌われるモランと違い、彼らは美しさゆえに賛美される存在でもあります。彼らは自分たちのことを賛美しているムーミントロールにも全然関心を寄せません。カンテラにもムーミントロールにも関心がない点においても、モランと対照的な存在です。

 

凍らなかった砂

 モランが座っている場所は、浜辺でも砂が凍ってしまいます。ある日ムーミントロールは、砂が冷気から逃れるため、とうとうモランの足元から逃げて動き出すのを目撃します。ぞっとしたムーミントロールはその場から逃げ出すのですが、モランは彼を追って島の内側まで上陸してしまいます。もうこんなことがあってはと、ムーミントロールはモランにカンテラの明かりを見せてやるのを止めることを決意しますが、その夜のうちに、島中の植物や岩までも、モランの冷たさから逃れてムーミンたちが住む灯台がある高台へと移動を始めます。ムーミントロールは自分がモランと関わり合いになったせいでこんなことになったのだとひどく後悔します。

 島がそんな状態になった最中、嵐が発生して海が荒れ狂い、島中がおびやかされます。そして嵐が過ぎ去った後、とうとうカンテラの燃料である石油が切れてしまいます。ムーミントロールは、もう二度とカンテラの明かりを見せることが出来なくなったのだから、モランがどんなに失望するだろうかと思い悩みます。

 その晩、手ぶらのままムーミントロールがモランが待っている浜に向かうと、彼を待っていたモランが歌い始めます。それはムーミントロールがやって来てくれたことへの喜びをあらわす歌でした。ムーミントロールは驚きます。モランが去った後、ムーミントロールが砂に触ってみると、砂は凍っていませんでした。それはこれまで決して温まることができなかった存在を、ムーミントロールが温めた瞬間でした。

 この瞬間から、モランは「不気味で恐ろしいもの」から、ムーミントロール、そしておそらくムーミンの世界に暮らす他の人々にとっても、「他の人と同じく隣人のうちの一人」に変化したのでしょう。ムーミントロールはもし今後、自分が約束を守れず会いにいけないことがあっても、モランはがっかりするだろうけれどそれも問題はないだろう、と考えます。友達のうちの一人であれば、すれ違ったりすることも普通にあり得ますよね。しかしそうは考えても、ムーミントロールは優しいので次の晩も約束を守り、ちょっと知り合いに会う用事があるとムーミンパパに告げて浜辺へ去っていき、この物語は終わります。

 

 私はこのエピソードがムーミン・シリーズの中で最も好きです。砂は凍っていなかった、と書くことで、それ以上は多くを語らず残る余情感も非常に好きです。しかしこのエピソードが一番好きとはいえ、私自身は「性善説」といったものを全面的に信じているわけでもありません。もし完全に性善説を貫き、過剰に相手のことを信じ期待しすぎると、場合によってはむしろ必要以上の憎悪をその相手に対して抱くことになったりするのではないでしょうか。ムーミントロールもモランを警戒していたし、完全にモランへの同情が動機というわけではなく、家族と島での暮らしを守るため必要なことなんだと考えて交流が始まっています。しかし結果としてムーミントロールの優しさと友情が、ムーミン一家が登場する最後の作品でとうとう氷の魔物モランを救うことになった、という結末がとても良いなと思っています。

 

Ⅱ 『ムーミンパパ海へいく』『ムーミン谷の十一月』より:ムーミンママとホムサ・トフトの物語

「理想のお母さん」と孤独で空想好きな少年

 それでは次に、ムーミンママとホムサ・トフトの物語について綴りたいと思います。ムーミンママは第1作目『小さなトロールと大きな洪水』で、行方知れずになった夫を探しつつ、まだ手のかかる小さな我が子と途中で出会った子供たちを連れて旅を続けるお母さん、として登場します。一作目では置かれている状況が過酷であることもあり、ちょっと怒りっぽい面があったりもするのですが、シリーズが続いていくにつれてムーミンママは非常に柔和で優しく、包容力があって頼りになる女性としての面が強く描かれるようになっていきます。

 一方、ホムサ・トフトはシリーズ最終作『ムーミン谷の十一月』のみに登場する、空想好きで乗られていないボートに隠れてなぜか一人で生きている子供として描かれます。トフト少年はムーミン谷とムーミンたち、特にムーミンママの存在に強い憧れを抱いており、とうとう本当にムーミン谷を訪れることにします。しかしムーミン一家は前作『ムーミンパパ海へいく』から灯台のある孤島に転居しており、彼らと会うことは叶いません。そこで彼は、同様にムーミン一家不在のムーミン屋敷を訪れた他のお客たちと共同生活をしながら、ムーミン一家が帰ってくるのを待ちわびます。

 頼りになる理想の存在として慕われ、時には嫉妬もされたりするムーミンママと、自分の抱いたイメージを愛する孤独な少年の物語です。

 

ムーミンママというキャラクター👜

陽気で寛大で遊び心にあふれる母

 ムーミンママは、『たのしいムーミン一家』では魔物の帽子のせいで全然別の姿に変わってしまったムーミントロールを、ムーミンパパも含めた他の全ての人々が見分けられなかった中で、これは自分の息子だと見分けられた唯一の存在です。またシリーズを通して、家族や屋敷の滞在者の不調時には温かい飲み物を作ったり、夜食を用意したりして支えてくれる、優しい気遣いの女性でもあります。ムーミンママはシリーズを通して、全てを話さなくてもわかってくれる、他者を受け止めてくれる優しいお母さんという感じの存在だと思います。

 作者トーベ・ヤンソンの言葉によると、ムーミンママのモデルはトーベさんの母シグネさんであり、ムーミンママの陽気で寛大で遊び心にあふれているところはシグネさんの姿そのものであったようです。

 

突然さらされたアイデンティティの危機

 そんなムーミン谷の皆を愛し、皆から愛されるムーミンママなのですが、ムーミン一家が登場する最後の作品である『ムーミンパパ海へいく』で、突然アイデンティティの危機にさらされることになります。それはムーミンパパがこれまでの暮らしから生活を一変させるべく、慣れ親しんだムーミン谷からの転居を決意したことがきっかけでした。ムーミン谷は豊かでムーミンママが愛する植物や生き物に満ちていますが、転居先の孤島は土地が痩せていて生物も少なく、園芸など、彼女のそれまでの生きがいにしていた物事には全く向いていない住処です。ムーミンママはこの転換はムーミンパパにとって必要なことであり、おそらく家族にとっても良いことなのだと信じようとします。しかし今の暮らしに家族は満足しているのになぜ転居しなくてはいけないのか、という素朴な疑問が湧いてくるのを消すことができません。ムーミンママはきっと今までの暮らしが楽すぎたんだ、と思おうとしますが、暮らしが上手くいきすぎていることを悲しんだり、ましてそれに怒ったりするなんてなんだかおかしいわ、と悲しく考えます。

 ムーミンパパが孤島への転居を決意したのは、「一家を支える父」としての自分の存在感が、家庭の中で薄れてきたのにかなり閉塞感を感じたからです。そこで環境を変えれば家族との関係も変化するのではないかと期待します。しかしながらこの物語を読んでいくと、家族の生活がそのように変わってきたのは、おそらく彼の息子ムーミントロールが大人になってきたからではないか、という感じがします(養女になっているリトルミイはもともと独立心が強いですし、そもそもムーミントロールより年上なのでかなり自立しています)。ムーミンパパはなんだか最近皆が自分を頼ってくれないな、ということを物足りなく感じるのですが、それは面倒を見て守っていかなくてはいけない「子供」だった我が子が順調に成長し、もうすぐ独り立ちできるだけの力をつけたからでもあるようです。ムーミンママがなんだかおかしいわ、と感じたのは、我が子の順調な成長は親として誇るべきことなのに、それを嘆いたりするなんてなんだか変だと思ったということもあるでしょう。

 ムーミンパパの家族のために自分が何かしてあげたいと言う強い思いは、島に到着した後、ムーミンママから気晴らしに出来ることを減らしてしまい(ムーミンパパが代わりにやってしまうので)、逆に彼女がムーミン谷を懐かしむ気持ちを強め、ホームシックにしてしまいます。ムーミンママは灯台の中の壁にペンキでムーミン谷の絵を描き始めるのですが、ホームシックが最高潮に達したある日、とうとう彼女は壁の中の絵の世界に入り込んで、家族と寒々しい海に囲まれた孤島から姿を隠します。

 

ムーミンたち」という存在への期待

 この『ムーミンパパ海へいく』の次の作品で、シリーズ最終作となる『ムーミン谷の十一月』では、それぞれ解決したい自分の問題やユートピア的な憧憬を抱えた人々が、ムーミン谷の環境とムーミンたちの人柄に癒されたくてムーミン屋敷を訪れます。こうした描写や、トフト君の話のところで後述するムーミンたちという存在への無条件の期待感を見ていると、私は『悪霊』でニコライ・スタヴローギンが「なぜ皆、誰にもできないことを僕には期待するんだ?」とこぼす場面を思い出します。スタヴローギンは悪党なのでまあいいんですが(?)、ムーミンたちはそれを特に気にしたり苦にしたりしていないとはいえ、なぜ自らを含め誰にも出来ないようなことを、彼らには無条件に望めるんだ?とちょっと思ってしまいます。

 確かに、ムーミン一家は自分らしく懸命に生きることで結果的に自分たちが困った状況に置かれてもそれを解決し、周りの人々を助けたりもしてきました。しかしそれを当然のことのように望んでいいものでしょうか。そうした期待は実現できない方が悪いのか、それとも期待することが間違っているのか。そして期待したことが実現しなかったとしたら、相手との関係は変わってしまうのでしょうか?

 

☆観光地にはオン・シーズンに行った方がいい

 『ムーミン谷の十一月』ではムーミン屋敷を訪れた人々が、ムーミン一家に会えないことの他に、ムーミン谷の様子がなんだか寒々しいことにも戸惑いを感じます。それはこの小説のタイトルにもある通り、彼らが訪問した時期が、もう冬が訪れる直前の11月であることが原因です。ムーミンが暖かい季節の生き物であるように、春夏こそがムーミン谷のオン・シーズンであるようです。

 やはり観光地には、多少混むとしてもオン・シーズンに行った方がいいですよね。私はその方が安かったので、初めていくある土地にオフ・シーズンの冬に行ったことがあります。しかし案の定非常に寒いし、訪れた有名な庭園は水道管の凍結防止のために噴水の水も止まり、庭にある彫刻には全てひび割れ防止のためのカバーがされていて見えないし、オン・シーズンには避暑客で賑わうはずの港は閑散としているし、ちょっとやっちまったな!という感じでした。なかなか貴重な経験をした気もしますが、やはりオフ・シーズンに観光地を訪れるというのは、「その場所の通常の面は十分見たからもう違う面も見たいや」という玄人向けの世界ですね😂

 ちなみにオン・シーズンのムーミン谷の姿が余すことなく描かれているのは、第3作目の『たのしいムーミン一家』だと思います☀️

 

ホムサ・トフト少年について💭

ムーミン谷とムーミンたちに憧れる、母を求める空想好きの少年

 さて、ムーミンママについての話がまだ途中ではありますが、ホムサ・トフト少年について書きたいと思います。トフトはヘムレンさん(おそらく『ムーミン谷の十一月』が初登場)が持っているけれど乗っていないボートの覆いの下で一人で生活している小さな子供です。

 彼は寝る前に自分に自分が作った物語を聞かせるのが好きで、その中でも特に好きなのは「幸せなムーミン一家」のお話でした。自分が作った物語の中で、彼は幸せにあふれるムーミン谷を歩いてムーミン屋敷へと向かい、屋敷の入り口ドアの階段の下で、ムーミンママがそこから現れるのを待っているうちにいつも眠りにつきます。トフト君にとってムーミン谷は幸せな理想の場所であり、ムーミンたちは理想的な存在であり、その中でもムーミンママのことを理想視しています。ところで彼は、他の人から聞いたムーミン谷やムーミンたちの様子をもとに物語を作っているだけで、実際にはムーミン谷を訪れたことがないし、ムーミン一家やムーミンママにも会ったことがありません(「万能の君の幻を 僕の中に作って」いるのか…まるで『LOVE PHANTOM』…🎸)。

 ある日、日に日に、自分が作れるお話がムーミン屋敷からどんどん遠ざかっていっていることに気づいたホムサ・トフトは、本当にムーミン谷を訪れムーミンママに会いに行こうと決意して出発します。

 

ムーミン・シリーズの「親のいない子どもたち」という存在

 ところで、ムーミン・シリーズには初登場時のスニフや『ムーミン谷の夏まつり』で登場する24人の森の子どもたちのように、理由は説明されないけれど親から逸れてしまった子や捨てられてしまった子、おそらく孤児になってしまった子供達が、意外に多く登場します。ムーミンパパも捨て子ホームの前に置き去りにされていた赤ん坊でした。こうした要素は、ムーミン・シリーズが戦時中にスタートしていることが大きく影響しているのではないかと思います。ムーミン谷で意外に多く起きている自然災害は、生活に襲いかかってきた戦争の脅威を彷彿とさせますが、こうした「親のいない子どもたち」という存在は、戦火から逃れる中で家族と逸れてしまったり自分だけ取り残されてしまった子供達の姿を、実は反映しているのではないでしょうか。

 

おとなしいのに突然キレる少年⚡️

 ここで、ホムサ・トフトの印象的な特徴を紹介したいと思います。それは普段はおとなしいのに突然キレることがあるという点です。ホムサ・トフト君は恥ずかしがり屋でおとなしく、無口で内向的な少年ですが、作中で3回、突然激怒しています(1度目はヘムレンさん、2度目はミムラねえさん、3度目はスナフキンに対してです)。彼自身も、おとなしいはずの自分が突然怒りを爆発させることになった理由がいまいちよくわかりません(普段思っていることがあっても何も語らず静かにしており、無意識のうちに様々なフラストレーションを溜め込んでいるからだと思いますが…)。そんなトフト君がキレるシーンはほとんど、ホラー映画やゲームのジャンプスケアのようでもあります👻苦笑

 ちなみに、ホムサ・トフト君が初めて怒りを爆発させる場面の直前に、ヘムレンさんが設置しようとした看板が原因で、スナフキンが狂ったように激怒するシーンが登場します(こちらも結構ショッキングシーンです🤣)。もしかしたらトフト少年は怒りの表現の仕方を、無意識のうちにスナフキンのその姿からコピーしたのかもしれません。突然怒りを爆発させたのはトフトにとってその時が初めてだったようなので、そういう意味では直前に見たスナフキンの怒りがこの行動のきっかけと言えないこともないのかも。そんなこと言われてもスナフキンだって「だからなんだってんだよ」って言うしかないでしょうが…(ちいかわ?🦁)。

 

☆ちなみに…キレられた理由と相手の反応👀

 ここで、せっかくなのでそれらの人々がホムサ・トフト君に激怒されてしまった理由と、その時の反応についてまとめてみたいと思います。

 まず、最初にキレられてしまったヘムレンさんです。彼はこうしたら他の滞在者やムーミン一家の人々にとって良いだろうと自分が思ったことを、トフト君に手伝ってもらいつつ実行していました。しかし、滞在者が皆で一緒に食事会を開いた時、いつも通り自分の考えを述べたところ、「君の考え方ややっていることは全部独りよがりだ」とトフト君にキレられてしまいます。ヘムレンさんはびっくりし、まさかこの少年が自分に対してずっと不満を抱いているなどとは思っていなかったので、大変気まずく感じます。そしてその後一緒に作業するのを頼めなくなります。

 次にキレられたのはミムラねえさんです。彼女はトフト君の髪をブラッシングしてあげている時、会話の流れで「ムーミンたちは憂鬱だったり腹が立ったり独りになりたくなったら屋敷の裏の暗い森へ行くのよ」と話します。すると「そんなのは嘘だ、ムーミンたちは怒ったりなんかしないんだ」とキレられます(前の記事でも書いたけど無茶言うなよ…)。しかしミムラねえさんは会話の途中で彼がキレはじめてもあまり動じず、動き回らないでよブラッシングができなくなっちゃうじゃないと返します。そしてその後も特にトフト君に対する接し方に変化はありません。

 最後はスナフキンです。彼はヘムレンさんとトフト君と3人でお茶をしていた時、彼らが今後どうしようかということを話し合っている最中に「11時を過ぎると風が出てくるぞ」と発言したところ、「皆が話し合ってる時になぜ全然違うことを話すんだ!君はいつもそうだ!」とキレられます(そういうとこがスナフキン)。一緒にいたヘムレンさんはびっくりしてしまうのですが、スナフキンは黙って相手が落ち着くのを待ってから、いやそれは11時を過ぎれば僕たちはヨットに乗れるねって意味なんだよ、と話を続けます。

 こうしてみると、ミムラねえさんとスナフキンはさすがリトルミイの異父姉弟だけあって、肝が据わっていますね👀 彼らは自分のことは割と自分一人でやる主義なので、ヘムレンさんと違って「もしかして自分はトフト君に無理させて手伝いをさせていたんだろうか…?」といった、後ろめたさがないせいかもしれませんが😅

 

「ちびちび虫」とはなんだったのか?

電気を食べる小さな古生物

 このホムサ・トフト君の物語に強く結びついているよくわからない存在として、「ちびちび虫(原文では学名のまま「貨幣石」になっているそうです)」という生物が登場します。この生物について、トフト君はムーミン屋敷に残された本を読んで知ることになります。それは深海の底で暮らす生き残りの古生物のことで、電気を好み、夜光虫に似た小さい体をしており、怯えるともっと小さくなる、とありました。ホムサ・トフトは幸せなムーミン一家の話の代わりに、そのひとりぼっちのちびちび虫のお話を自分に話して聞かせるようになります。

 

トフト少年の肥大する自意識?

 ここまでだと本から知った生物の創作物語を自分に聞かせている子供の話、というだけなんですが、このちびちび虫がこの後なぜかムーミン谷に姿を現します。きっかけはムーミン屋敷にある「開かずのクローゼット」をスナフキンが開いたことでした。この「開かずのクローゼット」、フィリフヨンカには「鍵がかかっていて」開けられなかったのですが、なぜか「ムーミンたちは鍵なんかかけない」と言ったスナフキンには開けることが出来ています。そこもなんだか奇妙ですが、何が入っていたんだろうとフィリフヨンカが中を覗いてみると、埃が積もった上に無数の小さな虫の足跡が残されており、彼女は悲鳴を上げます(フィリフヨンカは虫が非常に苦手です)。フィリフヨンカに呼ばれたトフト君はそこから電池みたいな匂いを感じとり、「あいつは本当にいるんだ、僕が出してやったんだ」と言って相手を困惑させます。

 トフトが見つけた本に記されていた「ちびちび虫」は、ムーミン屋敷の「開かずのクローゼット」に隠れていたということでしょうか?この出来事の後、ムーミン谷では奇妙な激しい雷が発生します。トフトはそれをみて、僕が作った雷だ、これでちびちび虫は大きくなれるんだ、僕は帰ってこないムーミンママを叱ってやったんだ、と考えます。自分の力で雷を発生させるって、ここまでくると全部トフト少年の妄想なのかな?という感じもしますが、この雷自体は他の滞在者も目撃しているので、本当に起きたもののようです。

 さて、姿を現したちびちび虫は雷の電気エネルギーで身体を大きく変化させ、牙だけが妙に発達した以外はおとなしい草食動物の形質を備えたまま、自分の抱える怒りや攻撃性を制御出来ない巨大生物に変化します。そしてムーミン屋敷の滞在者たちがホーム・パーティーを開いた夜、その虫は家の中に入ってこようとして周りを歩き回り、扉に体当たりを始めます。それに気づいたホムサ・トフトは一人、庭に出て行き、自らの存在をうまくコントロールできないちびちび虫に話しかけます。しかし相手は言葉を解しないので埒が開かず、痺れを切らしたトフトが「もう小さくなって隠れてしまえ!このままだとお前はやっていけないんだ!」と叫ぶと、その虫はムーミンパパの水晶玉の庭飾りの中に吸い込まれて、またもとの小さい姿に戻ります。

 怒るのに慣れていない、妙に大きくなった草食動物。これはもしかしたらホムサ・トフトの自意識とリンクしているのではないでしょうか。ホムサ・トフトは本を読んで、進化の過程で隠れてひっそり暮らすことを選んだ「ちびちび虫」の生き方に自分自身を重ねています。大きくなりすぎてコントロールできなくなったちびちび虫の体は、肥大しすぎて扱いきれなくなったトフト少年の自意識の象徴だったのかもしれません。

 ある晩、自分のテントまで訪ねてきたトフト君に対し、スナフキンは「あんまり大袈裟に考えすぎないようにしろよ、なんでも大きくしすぎちゃ駄目だぜ」という言葉をかけています。

 

フィリフヨンカの強迫観念?

 トフト君以外「ちびちび虫」の姿を見たキャラクターはいません。だから完全にトフト君が頭で思い描いただけの存在のような気もするんですが(この物語にはクローゼットの鏡に映った自分の姿をムーミン族のご先祖さまだと思い込んで話しに行くスクルッタおじさんという人物も登場しますし…)、実は姿を見たことはないながらも、その存在を気にしているもう一人の人物がいます。それはフィリフヨンカです。

 『ムーミン谷の十一月』に登場するフィリフヨンカは潔癖で、掃除や料理が好きで、何事もきちんとしていないと落ち着かないというキャラクターです。しかしある日一人で暮らしている自宅で窓拭きをしようと屋根に出たところ、あやうく転落して大怪我をしそうな目に遭い、その時のショックから掃除が出来なくなってしまいます。掃除という生きがいを失ってしまったことにもショックを受けたフィリフヨンカは、気分転換をするべくムーミン屋敷を訪れます。

 そんなフィリフヨンカにとって、「ちびちび虫」を含む虫の存在は不潔と危険の象徴です。その認識は掃除ができなくなったとはいえ変わることはなく、むしろ掃除ができなくなったからこそ自分はそういった存在に対して無力だという危機感が強まってしまっている様子。しかし実は愛好している音楽を楽しんでいる瞬間などには、彼女はそういった脅威の存在を感じなくなっています。別に集中していることがあれば外界にある余計なものは認知しなくなるということなのか、そもそも彼女の頭の中にしか存在しないものだから意識しなければ感じなくなるということなのか?ちょっとはっきりとはいえない描かれ方になっていますが、「ちびちび虫」の実在不在の問題を別にしても、そうした虫たちは彼女にとっての「強迫観念」ともいえる意味合いをまとっています。

 ところで、フィリフヨンカはそうした神経質な自分の在り方が非常に嫌になることがあり、なにか全然違う存在になりたい、ムーミンママみたいになりたい!と思う瞬間があるようです。そこでムーミンママのように屋外で昼食会を開いてみたり、小さな子供であるホムサ・トフトに親切にしてみようと試みたりしますが、なかなか上手くいかず傷つきます(トフト君は自分が嫌な思いをしたくないから親切にしているだけの人も、怖がる人もいらないや、と考えます…なかなか残酷ですね😂)。それでムーミンママへのコンプレックスを感じたりするんですが、同時期の出来事が描かれる『ムーミンパパ海へいく』でムーミンママがアイデンティティの危機にさらされていることを考えると、ちょっと皮肉な展開です。

 ある晩、ムーミン屋敷滞在者たちで開いたホーム・パーティーの終盤で、フィリフヨンカは「帰ってきたムーミン一家」という影絵を披露します。そして一旦全ての明かりを消してまた火を灯そうとしたところ、マッチが見つからなくなってしまい、暗闇の中で参加者全員がパニックに陥ります。なんとか事態を収拾した後、荒れ放題になったパーティー会場をみて彼女の中で何かが吹っ切れたらしく、翌日、フィリフヨンカはムーミン屋敷の大掃除をして谷を去っていきます。

 

暗い、「怒りの森」の中を歩いて🍂

 他の滞在者たちが皆ムーミン谷を去り、一人ムーミン屋敷に残ったホムサ・トフトは、ミムラねえさんから聞いたムーミン屋敷の裏の気味の悪い森の中に足を踏み入れてみます。そこは自分が今まで思い描いていたムーミン谷の景色とは全く違う、自分が頭に描くことなどできなかった新しい世界でした。その薄暗い森を歩き回っているうちに、彼は頭の中にあった「幸せなムーミン一家」の物語の映像が消えていき、それをとても心地よく感じます。そしてその心地よさを噛み締めながら、ムーミンママもここへ来て一人ぼっちで歩き回ったのだと考え、それまでとは全く違った彼女の姿が見えてきます。それまで優しいムーミンママに受け止めてもらうことだけを望んでいたホムサ・トフトは、ムーミンママはなぜ悲しくなったのだろう、そんな時僕は何ができるのだろうと考えます。

 これは、私がムーミントロールとモランの交流の次に好きなエピソードです。愛情というものにはとてもエゴイスティックな面がありますが、自分が受け取ることだけでなく自分は相手に何ができるのか考えることって、大人になっても簡単に忘れてしまいがちだよな、と思います。そういう意味で、これは私にとっていつも心の片隅に置いておきたいエピソードでもあります。

 

 さて、『ムーミンパパ海へいく』の孤島でホームシックにかかってしまったムーミンママですが、嵐がすぎてムーミンパパが我々は海と島に受け入れられたのだと喜び、ムーミンママ自身もここにある物事を無理に変えてムーミン谷のような世界を作ろうとしなくて良いのだ、ありのままの島と海と共に、自分らしく生きれば良いのだ、と考えるようになった時、壁に描いたムーミン谷の中に入れなくなります。それはホームシックの終わりを告げていました。『ムーミンパパ海へいく』の物語は、姿を消していた前任の灯台守が帰還し、灯台にライトが灯ったシーンで終わります。そして『ムーミン谷の十一月』の物語は、ホムサ・トフトが海の上に、谷へと帰ってくるムーミン一家のボートの明かりを見つけ、桟橋へとかけていくシーンで完結します。

 

ムーミンママだって実は優先順位がある

 私は子供の頃、ホムサ・トフトが抱くムーミンママへの期待にちょっと疑問を感じていました。それは「ムーミンママってあくまで“ムーミントロールのお母さん”なんだよね?」ということです。たしかにムーミンママはシリーズを通していろいろな人々の面倒をみてはいるけれど、家庭・種族を超えた、偉大な母性として存在することを期待されているのか…?という。

 そんな誰にでも分け隔てなく優しいお母さん、であることを期待されているような気がするムーミンママなのですが、本当にそういったキャラクターなのでしょうか。当然といえば当然ですが、実は周りに配慮はしているとはいえ、彼女にもしっかり優先順位があるようです。

 例えば『ムーミン谷の彗星』で、ムーミンママはデコレーションケーキを焼いて、息子ムーミントロールと引き取っている子供であるスニフが天文台から帰ってくるのを待っていました。しかし、ケーキの上に書いた文字がうっかり「かわいいムーミントロールへ」だけになっていたため、スニフをかなり傷つけてしまいます(スニフが『ゴールデンカムイ』の尾形上等兵だったらムーミントロールを撃つかもしれませんね)。また、『ムーミン谷の夏まつり』ではムーミンママは毎年こっそり一番大事な人に手作りの木のボートをあげていると描かれており、この作品であげる相手に選ばれたのはムーミントロールでした。スニフには後でお詫びとして祖母の形見のエメラルドをあげてとても喜ばれているし、木のボートはあげる前も後も、プレゼントしない他の人には気づかれないようにしていると書かれているので、気遣いとリカバリーもしっかりしてはいますが、基本的には彼女は「一人息子ムーミントロールの母親」であることは揺るぎないわけです。

 

 ところで、フィリフヨンカのことを考えると、うっかりスニフを傷つけてしまったり、『ムーミンパパ海へいく』の中で悩んだりするムーミンママの描写には、「理想的に見える人だっていろいろあるのだから、あなただってあまり気負いすぎなくて良いはず」という、作者トーベ・ヤンソンさんからのメッセージを感じたりもします。

 

まとめ:自分の存在と他者の存在、その両方を尊重するムーミンたち

 ムーミンたちという存在と、ムーミン童話の独特の世界観を形作っているのは一体なんでしょうか。その核心にあるものについて、フィンランド文学研究家・高橋静男さんは、それは「思いやりを深くして、自分らしく生きる」こと、すなわち「自他ともに愛すこと」であり、「生命への限りない慈しみ」を知る者にだけできることだと、『ムーミン谷の冬』の解説の中で述べています。

 ムーミン谷では困ったことが意外と多く起きますし、困った人達もたくさん登場します。だから状況的には実際の人間社会とそこまで変わらず、そのままで「楽園」といえるような世界でもありません。つまり『ムーミン谷の十一月』で訪ねてきた人々が求めていた環境は、ムーミン一家という存在があってこそ実現されていたということなのでしょう。ムーミンたちも困った状況になると戸惑ったり怒ったり悲しんだりしますが、我を押し通して相手を潰すのでも、逆に相手に服従するのでもなく、程よい距離感をなんとか探ることによって、物事を解決していきます。今回綴ったムーミントロールとモランのエピソードも、ムーミンママとホムサ・トフトのエピソードも、自分と他者の存在両方への尊重が重要な鍵になっている物語だと思います。

 ムーミン童話は、自分と他者は違うのだから、どこかに分かり合えない部分が残ったとしても、それでも互いを尊重して共に生きることは出来るのだということを伝えてくれる物語だと思います。作者トーベ・ヤンソンさんが「現代の神話の創造者」と呼ばれるのは、現代社会にこそ必要なメッセージを物語を通して伝え続けてくれているからなのでしょう。

 

 さて、私の今年の読書感想文はこれで出来上がったようです(?)。今回もお付き合いありがとうございました。それでは、また!📚

 

2019年にムーミンバレーパークに行ったときに撮った写真です。ムーミン一家の他にも、この記事でとりあげたフィリフヨンカやホムサ族の少年が映っていました🌸

 

 

 

 

 

ムーミン童話について語りたい〜私なりのムーミン谷道案内🗺〜

 皆様こんにちは。最近チリチリとするほど暑いですね!住んでいる場所の熱中症警戒アラートが「極めて危険」(外出は控え、運動は中止)になる日もあり、おそろしくなります☀️💦

 私の住んでいる場所の周りでは夏場によく小さなアマガエルを見かけます。しかしここまで暑いと毎年のことながら心配になってしまいますね。毎年、夏にベランダに棲み始めるカエルがおり可愛らしいのですが(室内からこぼれる明かりに餌になる羽虫が寄ってくるんでしょうね)、日中ベランダの床材は砂浜の砂かと思うほど暑くなるので、年によっては干からびてミイラになってしまったカエルを目撃することに…。というわけで、夏場の私はアマガエルを見かけると霧吹きで水を掛けて回っています🐸🚿

 

 今回は、子供の時に読んで思い出に残っているムーミン・シリーズについて綴ってみました。私はキャラクターとしてのムーミンも好きなんですが、原作の小説も大好きで、確か小学3年生の時に第一作目の『小さなトロールと大きな洪水』で読書感想文を書いた記憶があります。8月は読書感想文の季節でもありますが、皆様はどういった本で読書感想文を書かれましたでしょうか📚

 この文章は、私なりのムーミン・シリーズ案内というか、原作小説全体の概要とその魅力のかいつまんだ紹介、という感じです。原作小説を読んだことがない方も、原作小説のファンだという方も、お楽しみいただけたら嬉しいです。それでは、よろしくお願いいたします🗺

 

■目次■

 

はじめに〜あなたを作った児童文学はなんですか〜

 この記事を書こうと思ったきっかけなのですが、少し前、Twitterで「#わたしを作った児童文学5冊」というハッシュタグを見かけました。そこでせっかくなので記憶を頼りに自分なりの5冊を選んでみたところ、5冊中2冊がムーミン・シリーズの小説という結果になりました。

 ちなみにその時選んだ5冊は次の通りです。

(皆さんは「自分を作った児童文学」を5冊選ぶとしたら何を選びますか📚)

 

 思えば、ムーミン童話は子供たちに向けた作品でありながらも、登場キャラクターの繊細な心の機微や、身勝手さや弱さ、孤独感などのネガティブな側面までも丁寧に描き出し、全てを語りきらない独特の余情感が残る作風に、小さい頃からどこか魅きつけられていました。考えると、文学を学ぶきっかけをくれたのもムーミン童話かもしれません(もしかしたら絵を描き続けたいと思ったのも作者トーベ・ヤンソンへの憧れとムーミン・シリーズのおかげなのかもしれません)。

 

 今回は自分でも整理してみたかったのもあり、ムーミン童話の道案内的なものを書いてみました。原作小説はシリーズものなのでストーリーに前後の関係があるのですが、「この作品とこの作品は同時期の出来事かな?」とか「発行されたのは後だけれど内容的には前作より前の時期の話じゃないのかな」と思うようなことがあり、少し作品同士の関係性を整理してみました。また、初めて読んだ時からちょっと野暮かな…と思いながら疑問に思っていたことについても書いてみようと思います✍️

 また、ムーミン・シリーズには日本語の公式サイトがあり、そちらでシリーズの変遷や登場キャラクターの説明やイラスト、作者トーベ・ヤンソンの絵をご覧いただけます。せっかくなのでそちらへのリンクも適宜記事の中で紹介させていただきたいと思います。

 

余談:『マリアンヌの夢』とモモちゃんシリーズでも記事を書いてみたいのですが、買ったのがかなり昔なので本が行方不明になってしまいました…いずれ入手し直すしかないかな😂

 

ムーミン・シリーズとは

フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンによる児童文学シリーズ

 ムーミン・シリーズは、フィンランドの画家・小説家のトーベ・ヤンソンによって書かれた物語シリーズで、「ムーミントロール」というキャラクターを主人公にした小説から始まりました。架空のムーミン谷を舞台に、主人公のムーミントロールとその両親を中心にしたムーミン一家、そしてその仲間たちが、自然や隣人を相手に繰り広げる冒険と自己探求の物語(という説明で合ってると私は思う…!)です。

 作者トーベ・ヤンソンの来歴と作品について、詳しくはムーミン公式サイトのこちらのページでご覧いただけます👇

 

ムーミン公式サイト - トーベ・ヤンソンについて

www.moomin.co.jp

ムーミン・シリーズの展開

 ムーミン・シリーズは童話(原作小説)全9作品から始まり、絵本が全4作品、コミックス(英国の大衆紙「イブニング・ニュース」で連載された漫画、弟のラルス・ヤンソンと共作)が全73作品あり(うち21作品がトーベ・ヤンソンの絵によるもので、残りはラルス・ヤンソンの絵によるもの)、その他日本では三度アニメ化され、他にもパペットアニメーション化などもされています。

 ムーミン・シリーズの歴史やムーミントロールのビジュアルの変化等は、公式サイトのこちらのページでご覧いただけます👇

 

ムーミン公式サイト - ムーミンの歴史

www.moomin.co.jp

 ムーミンは最初、トーベさんがらくがきした怒った顔の生き物(当時はスノークという名前)としてこの世に姿を現しました。そして白い影のようなお化けの姿から「黒いムーミントロール」(身体が黒くて目が赤い!👀)へと変化し、トーベさんが絵のサインに添えた小さな生き物の姿を経て、『小さなトロールと大きな洪水』で物語の主人公としてデビューを果たします。

 

🌟初めてムーミンの初期の姿を見た時の衝撃👀

 ここからは私の個人的な話ですが。

 私は確か小学3年生で小説『小さなトロールと大きな洪水』を、ムーミン・シリーズへのファーストコンタクトとして最初に読みました。それまでムーミンというキャラクターの存在は知っているけれど詳しいことは知らず、平成のアニメ版ムーミンの絵の印象が強かった私にとって、この本の挿絵のムーミントロールの姿はかなり衝撃的でした…笑 『小さなトロールと大きな洪水』のムーミントロールは、鼻が現在の絵と違ってだいぶ細く、しかも鼻と口がきちんとわかれた位置にある、ちょっとテングザルのオスを思わせるような造形になっているんですよね。「えっ可愛くない…!」というのが当時の正直な感想でした🤣

 よくムーミンはカバなんだと認識している方がいたりしますが、最初期の頃のムーミンはカバとは似ても似つかない生物の姿をしています(とはいえ勿論テングザルでもないです💦)。

 それから主人公が「ムーミントロール」という名前であることも驚きでした。それまで「ムーミンは “ムーミン” という名前のキャラクターだ」と思っていた私にとって、「えっムーミンってトロールなの…?『ハリー・ポッター』シリーズで出てきたみたいな、絵本『三びきのがらがらどん』に出てきたみたいなトロールの仲間なの…?」という困惑が生まれました笑(調べてみたら、『三びきのがらがらどん』は同じく北欧の、ノルウェーの昔話みたいですね🐐🐐🐐)

 最近では私は、ムーミントロールって一体何者なのか?というと、日本人的には「トトロ」に近いような感じなのかな?と思ったりします。お化けとも違うし、かといって妖精や妖怪かと言われるとちょっと違うし、ましてや動物でもないけれど、独自の世界をもってずっとそこに存在している者たち、みたいな感じです。いかがでしょうか🌲🌳

 

原作小説のシリーズ構成

 それでは、ムーミン童話(原作小説)の各作品について紹介したいと思います。原作小説は発行年順に並べると次の通りです。基本的にストーリーはその一作の中で完結しますが、登場人物やエピソードの記憶などの内容は次の作品へと緩やかに続いていきます。

 

1.『小さなトロールと大きな洪水』1945年

2.『ムーミン谷の彗星』1946年

3.『たのしいムーミン一家』1948年

4.『ムーミンパパの思い出』1950年

…『たのしいムーミン一家』と『ムーミンパパの思い出』は物語中の時間的にはおそらく同時期?

5.『ムーミン谷の夏まつり』1954年

6.『ムーミン谷の冬』1957年

7.『ムーミン谷の仲間たち』1962年…短編集

8.『ムーミンパパ海へいく』1965年

9.『ムーミン谷の十一月』1970年

…『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』は物語中の時間では同時期で、対になっている物語

 

🌟岸川による作品解説🖋

 ここからは各作品について、大まかなストーリー(のつかみ?)と主要な登場キャラクター、 私が選ぶハイライトを綴っていきたいと思います。私が選ぶハイライトは、個人的に印象に残ったポイント・エピソードなどなので、物語上重要なポイントとは限りませんが、そこは悪しからず😅(各作品を読んだことがある方は、よかったら自分だったらハイライトはここかな〜と考えてみてください、同じだったら嬉しいですね👍)

 

第1作目『小さなトロールと大きな洪水』(1945年)

<ストーリー>

 厳しい冬が来る前に、寒さを逃れて逃げ込める家を見つけるため、陽の光があふれる場所を求めて旅を続けるムーミンママとムーミントロールの親子。ムーミンパパはニョロニョロと一緒に家を出て姿を消してしまったけれど、もう待ってはいられません。彼らは自分たちの求める居場所を見つけることができるのでしょうか?

 ムーミンママ、ムーミントロール、スニフが初登場します。

 

<登場キャラクター> 

ムーミントロール

ムーミントロール」はこの主人公個人を指す名前であり、同時にこの種族全体を指す名前でもあります。作者トーベ・ヤンソンによると、ムーミントロールの性格づけはシリーズ中の誰よりも曖昧なのだそうです。その分、シリーズ中で最も心の変化・成長が大きいキャラクターと言えるかもしれません。

▷ムーミントロール | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

ムーミンママ👜

トレードマークはハンドバッグ、原作小説中でエプロンをつけた姿で描かれるようになったのは、『ムーミン谷の冬』からのようですムーミン屋敷であたたかく迎えてくれるお母さん、というイメージが強いムーミンママですが、この作品では子供たちを守りながら消えた夫の手がかりをたぐって旅をする、たくましいイメージで描かれています(ちょっと怒りっぽかったりもします笑)。

(追記:先日『ムーミン谷の夏まつり』の冒頭に、エプロン姿のムーミンママの挿絵を見つけてヒエッとなりました笑 しかし『ムーミン谷の夏まつり』の他のカットでは、エプロンをつけていない姿でも描かれていますので、ムーミンママが常にエプロン姿で描かれるようになったのは『ムーミン谷の冬』(1957年)以降という感じみたいです。1954年にコミックスの連載が始まっているので、読者がキャラクターを見分けやすいようによりわかりやすいトレードマークが必要になったのかもしれません。)

▷ムーミンママ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

ムーミンパパ🎩

物語序盤は失踪者の扱いになっているムーミンパパ。トレードマークのシルクハットは、『ムーミン谷の夏まつり』から描かれるようになったようです。ニョロニョロとの旅の詳細は、短編集『ムーミン谷の仲間たち』にて描かれます。

▷ムーミンパパ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

スニフ

この作品が最初に描かれた時には「小さな生き物」という名前しかついていなかったスニフ。でもアニメ版だとムーミンの友人の誰よりも背が高かったりしますよね、シリーズ中で成長したのかな笑

▷スニフ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

ニョロニョロ⚡️

意思疎通のできない謎の生き物、ニョロニョロ。彼らはいつも旅をして彷徨っています。何が彼らの目的なのか?それをムーミンパパは、短編集『ムーミン谷の仲間たち』の中で知ることになります。ムーミンがカバじゃないように、スニフがカンガルーじゃないように、ニョロニョロもエノキタケじゃないですよ(誰も言ってないだろ)。

▷ニョロニョロ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> 全てがお菓子でできた庭🍬

 子供の頃初めて読んだ時は、旅をするムーミントロール一行が途中で魔法使い?に招かれる、全てがお菓子でできた庭が印象的でした。アイスクリームでできた雪やねじり砂糖でできた緑の草、レモネードが流れる川や木になったキャンディやチョコレートの実…ちょうど映画『チャーリーとチョコレート工場』で登場した庭みたいな世界かもしれませんね。魔法使いは「ここに住むつもりならシュークリームの家を作ってあげよう」と言います(ちいかわの巨・シュークリーム的な絵になりそうですね🧁)。

 

第2作目『ムーミン谷の彗星』(1946年)

<ストーリー>

 大雨が上がったある朝、ムーミン谷の全ての景色がどす黒く染まっていました。そしてこれは地球に彗星が接近していることが原因で、いずれ彗星は地球に衝突するのだという噂が流れます。いてもたってもいられなくなったムーミントロールとスニフは、真相を知るべくおさびし山の天文台へ向かいます。

 作中では天体接近に伴う潮位の変動、日照り・干ばつ、蝗害なども描かれます。この物語でじゃこうねずみスナフキンスノークスノークのお嬢さん、ヘムレンさんが初登場します。

 

<新登場キャラクター>

じゃこうねずみ🐭

虚無主義の哲学者。彗星がぶつかって地球は滅びるのだという見解をムーミン一家にもたらし、幼いムーミントロールやスニフをビビらせます。しかしそんなのは哲学者にとってはなんでもないことですじゃ。

▷じゃこうねずみ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

スナフキン⛺️

ムーミンキャラクターの中でも非常に人気が高いスナフキンは、この物語から登場します。彼は作中で「一ぴきのムムリク」として紹介されており、スウェーデン語での名前は「スヌスムムリク」です。「ムムリク」は英語の「guy」というような意味みたいです(OH YEAH, かぎタバコGUY!)。

▷スナフキン | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

スノーク👓

スノーク」も種族の名前でもあるようです。「スノーク」はスウェーデン語で「いばり屋、うぬぼれ屋」みたいな意味のようです(OH YEAH, スノッブGUY!)。

▷スノーク | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

スノークのおじょうさん🌼

媒体によって呼び名が「スノークのおじょうさん」だったり「スノークの女の子」だったり「ノンノン」だったり「フローレン」だったりする女の子。前髪とアンクレットがトレードマークで、ムーミントロールのガールフレンドです。

▷スノークのおじょうさん | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

ヘムレンさん🔍

「へムル」が種族の名前で、「ヘムレン」という愛称をもつ異なるへムルがムーミン・シリーズには何人か登場します(ちなみに、単に種族名の「へムル」で呼ばれる人物もシリーズ中に複数おり、ちょっと混乱します笑)。代表的なのがこの作品に登場する切手コレクター(から次作では植物コレクターに転身する)ヘムレンさん、『ムーミン谷の冬』で登場するスポーツマンで陽気なヘムレンさん、『ムーミン谷の仲間たち』で登場する静寂を愛するヘムレンさん、などです。

▷ヘムレン | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> 学者の情熱🔭

 この作品の中で私が今でも時々思い出すのは、おさびし山の天文学者とスニフが交わす会話です。天体望遠鏡で彗星の姿を覗かせてもらったスニフに、天文学者は「あの彗星は美しいだろう、毎日毎日いっそう大きく赤く美しく見えるようになるんだ!」と語りかけます。彗星が地球に衝突すると予測される時間を教えてもらったスニフは、「衝突したら地球はどうなりますか」と天文学者に尋ねます。それに対し天文学者は、「そんなことは考えたことがないが、その経過は記録しておく」と答えます。

 私はこの会話を、大学で火山活動についての地学の講義を受けた際、セント・へレンズ山爆発と火山学者デイヴィッド・ジョンストンのエピソードが登場した時に思い出しました。火山学者デイヴィッド・ジョンストンは1980年にセント・へレンズ山の噴火を山頂の観測所から最初に報告し、 “Vancouver! Vancouver! This is it!”「バンクーバーバンクーバー!ついに来た!」という無線を最後に火砕流にのみこまれて死亡しています。私のイメージの中で、火山学者デイヴィッド・ジョンストンとこの天文学者のイメージは一体になっています🎓

 

第3作目『たのしいムーミン一家』(1948年)

<ストーリー>

 冬眠から目覚めたムーミントロールスナフキン・スニフは、この春初めての登頂者になるべく海近くの山に向かいますが、その山頂で真っ黒なシルクハットを拾います。そのシルクハットには魔法の力があったため、次々に奇妙な事件が起こります…。

 

 この作品のムーミン谷は災害などは起こらず比較的平和ですが、外の世界から魔法が持ち込まるという形で事件が起きていきます。今作で氷の魔物・モランが初登場します。ちなみにアニメ版でもお馴染みのスノーク、切手コレクターから植物学者に転向したヘムレンさん、じゃこうねずみが小説シリーズの中で登場するのは、この話が最後です。

 

<新登場キャラクター>

トフスランとビフスラン👫

奇妙な言葉をしゃべる小さな二人組。彼らがモランの宝物、「ルビーの王さま」を盗んだために一悶着起こります。なんでそういうことするの。

▷トフスランとビフスラン | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

モラン👻

氷の魔物「モラン」は種族なんでしょうか、それともたった一人の存在なんでしょうか。シリーズ中ではしばらくは怪物扱いなんですが、『ムーミン谷の冬』あたりから彼女(モランは女性のようです)の持つ孤独な側面が描かれるようになります。

▷モラン | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

飛行おに🪄

黒豹に乗って旅をする魔法使いです。彼も「ルビーの王さま」を探し求めています。

▷飛行おに | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> スナフキンの旅立ちと帰還の約束⛺️

 この作品で初めて、スナフキンムーミン谷を起点に旅に出ることになります。ちなみに物語の冒頭では、その直前の冬はスナフキンムーミン屋敷で皆と一緒に冬眠している描写があります(冬の間中ずっと眠っていることが可能なのかスナフキン…)。前作でムーミン谷を訪れて屋敷に滞在するまでは、スナフキンは気ままにあちこちを移動してテントで暮らしていました。この物語から、秋にムーミン谷を出発して暖かい土地へ向けて旅に出て、春にまたムーミン谷に帰り夏を過ごし、また秋に谷を旅立つ、というサイクルが誕生したようです。そのサイクルが生まれたのは、ムーミン谷に彼の帰りを待つ、ムーミントロールという親友ができたからですね🤝

 

第4作目『ムーミンパパの思い出』(1950年)

<ストーリー>

 ムーミンパパが自伝を執筆し、それを家族に読み聞かせます。執筆中の自伝と現在を行き来するストーリーです。捨て子だったムーミンパパは、孤児院を抜け出して発明家フレドリクソンに出会い、彼が作った船・海のオーケストラ号で仲間たちと一緒に海へと旅立ちます…。

 

 この物語は書き上げた章ごとにムーミンパパが家族に読み聞かせ、それを受けて現在のムーミントロールムーミンママ、スニフ、スナフキンが感想を述べたりするという形で進みます(スナフキンがまだムーミン谷にいるので、時間的には『たのしいムーミン一家』と同時期か少し前の設定でしょうか?)。

 フレドリクソン、スニフの父ロッドユールと母ソースユール、スナフキンの父ヨクサルと母ミムラ夫人、ミムラねえさん、ちびのミイ(リトルミイ)が初登場します。ちなみにスニフが長編に登場するのはこの作品が最後ですが、彼は短編集『ムーミン谷の仲間たち』でその後一度だけ主人公として登場します。

 

<新登場キャラクター>

ミムラねえさん🎀

ミムラ」も種族の名前のひとつです。この話では嘘をついて人をからかうのが大好きなやんちゃな女の子でしたが、リトルミイの面倒を見るようになってからは、ミイが暴言を吐いたら「そんなことを言うと天国へいけませんよ」と諭したりするようになりました。

▷ミムラねえさん | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

リトルミイ🧅

この物語のムーミンパパの回想中エピソードで誕生したリトルミイ。生まれた時からとても小さかった彼女ですが、最初の挿絵では虫眼鏡で拡大した姿になっています(どれだけ小さかったんだ…)。次作『ムーミン谷の夏まつり』で異父弟のスナフキンに出会いますが、その時も彼のポケットの中にすっぽりおさまってしまうくらいの大きさです。

▷リトルミイ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

おばけ⛓

ムーミンパパたちが旅の末に移り住んだ場所に、夜な夜な現れるおばけです。ある晩、独り立ちした若き日のムーミンパパを驚かそうと現れたのですが、途中でくしゃみをしたのでムーミンパパに「風邪ですか」と心配されて興醒めしてしまいます🤧

▷おばけ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> ふてくされるスナフキン🦈

 この作品ではムーミンパパの自伝という形で、彼の旅の仲間であったスニフの父・ロッドユールとスナフキンの父・ヨクサルの若い頃の話が語られます。ヨクサルがスナフキンの母・ミムラ夫人に出会った頃のエピソードをムーミンパパが語って聞かせた時、スナフキンは話を中断させ、「パパは自分よりもミムラ夫人のことが好きだったの?」と尋ねます。そしてムーミンパパに「だってその頃君はまだ生まれていなかっただろう」と言われると、スナフキンはふてくされてしまいます。読んだ当時も今も、スナフキンはクールなキャラクターだというイメージがあるので、このエピソードは結構意外でした。それに自分よりも父に好かれていたのかと嫉妬している相手であるミムラ夫人は、自分の母親なわけですし。この後、スナフキンムーミンパパから自伝でも登場するサメの歯をもらい、自分のベッドの上に飾ると言って機嫌を直します。ちょっと子供っぽくて可愛いですね笑🛏

 ちなみに、このときミムラ夫人と同時にミムラねえさんが登場しており、おそらくミムラねえさんの方が年齢もムーミンパパたち一向には近い?ので、読んだ当時はヨクサルはミムラねえさんと仲良くなったのだとばかり思っていました。まさか登場時から子だくさんのミムラ夫人の方が相手だとは思わないじゃない…。この自伝のストーリーの中でリトルミイが誕生しており(父親が誰かは作中には描かれていません)、ミムラねえさん・リトルミイスナフキンは異父姉弟ということになっています。

 

第5作目『ムーミン谷の夏まつり』(1954年)

<ストーリー>

 夏至祭を控えたムーミン谷で、ムーミントロールは約束の春を過ぎても帰ってこないスナフキンを悲しく待っていました。寝苦しいほど暑いある晩、火山性地震からの火山噴火、そして洪水という災害が起こります(こうしてみるとムーミン谷は結構自然災害が多いです…)。ムーミン屋敷も水に沈んでしまい、ムーミン一家は偶然流れてきた劇場に避難します。しかし偶然の事故(というかエンマの意図というか)でムーミントロールスノークのおじょうさんは一家とはぐれてしまい、残りの家族は彼らと再会するべく、わからないながらも劇を上演してみることに…。

 ホムサ族、フィリフヨンカ族、という存在が初登場します(ミーサという人物も出てきますが、これも種族名のようです)。

 

<新登場キャラクター>

ホムサ

「ホムサ」は種族名で、ムーミン・シリーズにはヘムレンさんと同じように異なるホムサが何人か登場します。代表的なのは、この物語に登場する真面目すぎてどこかズレてるホムサ(『悪霊』のキリーロフがムーミン谷の人物だったらこんな感じかもしれませんね(?))、『ムーミン谷の仲間たち』で登場する自分の想像を本当のことだと思い込んでしまう小さなホムサの男の子、『ムーミン谷の十一月』に登場する「母」の存在を求めるホムサ・トフト少年です。

(完全に余談ですが、私が作ったアニメーション『オルゴールの中の天使』に出てくる緑の目の男の子のイメージの源泉は、このホムサ族かもしれません)

▷ホムサ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

ミーサ

ホムサ族ほど多くは出てきませんが、「ミーサ」も種族の名前のようです。この物語に登場するミーサはネガティブで、何もかもが自分に辛くあたるんだ!と考えている女の子です。生真面目なホムサはそんなことはありえないということを彼女に説明して納得させようとするのですが、「だってそういう風に感じている」という彼女には完全に逆効果です笑 二人は論理で動こうとする人と感情で動く人という、好対照の性格づけなのかもしれません。

▷ミーサ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

フィリフヨンカ🔔

「フィリフヨンカ」も種族名で、大抵は現状に何かしらの閉塞感を抱えており、何かの規則に縛られている人物として描かれています。この物語で登場するフィリフヨンカは、来てくれないことがわかっているおじとおばを、毎年夏至祭のパーティーに招待し、テーブルセットの前で泣いている女の子です。じゃあやらなきゃいいじゃない…!

▷フィリフヨンカ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

エンマ🎪

劇場を守る、誇り高いねずみのおばあさんです。この話で登場するフィリフヨンカのおばです。

▷エンマ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

森の子どもたち⛲️

毎日禁止事項だらけの公園にやってくる、森に住む24人の孤児たちです。スナフキンは次で語る出来事のおかげで、一躍彼らのヒーローになってしまいます。

▷森の子どもたち | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> スナフキンの、親譲りのパンクでアナーキーな側面が開花⚡️

 スナフキンが好きな方には有名なエピソードかもしれませんが、この作品中で彼の父・ヨクサル譲りのアナーキーな側面(?)が開花する場面があります。スナフキンは自由を制限したり何かを禁止したりするものが大嫌いなのですが、その代表として立て札というものを嫌悪しています。そのため、彼は様々なことを禁止する立て札が設置されている公園に赴き、その公園番夫妻にニョロニョロをけしかけて感電させ、その隙に全ての立て札を引き抜いてしまいます。ヨクサルも何かを禁止されるのが嫌いなのですが、ヨクサルは禁止の表示があったらあえて自分は禁止されていることをする(例えば立ち入り禁止の表示がある場所にわざと入って昼寝をする等)、というようなスタンスなので、破壊行動に出る息子・スナフキンの方がより過激なキャラクターかもしれません笑

 

第6作目『ムーミン谷の冬』(1957年)

<ストーリー>

 例年の通り、家族みんなで冬眠をしていたムーミントロールは、真冬の最中、一人だけ目を覚ましてしまいます。冬眠に戻れなくなってしまった彼は、今まで全く知らなかった「冬の世界」に身を投じていきます。

 おしゃまさん(トゥーティッキ)、ご先祖さまが初登場します。

 

<新登場キャラクター>

トゥーティッキ🛠

作者トーベ・ヤンソンのパートナー、トゥーリッキ・ピエティラという人物がモデルとなっているキャラクターです。夏を懐かしむムーミントロールにそっけない態度で接したりしますが、氷の魔物モランに対して、夏の生き物であるムーミン族が持ち得ない見方を提供したりもします。

▷トゥーティッキ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

ご先祖さま🖼

千年前のトロールの姿を保っているといわれるトロール族の一人です(生きた化石、みたいなことなのかな?)。ムーミントロールは自分も千年前はこんな風だったのだろうかと考えたりしますが、いや、千年前だったら君もムーミンパパもムーミンママもまだ存在しているまいよ。

▷ご先祖さま | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

氷姫❄️

大寒波が人格化されたようなキャラクター、という感じでしょうか。モランがおそらくは年中谷のどこかに存在しているのと異なり、氷姫は年に一度だけムーミン谷を訪れます。モランの冷たさが生物が抱えるおそろしい孤独感のようなものを表しているとすると、氷姫は冬の極寒の気候という、生物の力の及ばない純粋な自然の力を表しているのかもしれません。

▷氷姫 | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> ジャムで生きのびるとは…?🫐🍓

 ムーミントロールだけが目を覚ましてしまったムーミン屋敷には、氷姫(大寒波?)の到来によって食べるものも無くなってしまったひとびとが、ムーミン屋敷にはジャム倉庫があるという噂を聞いて避難してきます。冬の間、ムーミントロールたちはムーミンママが貯蔵していたこけもものジャムといちごジャム、トゥーティッキが釣った魚のスープで生き延びているのですが、読んだ当時の私は、魚のスープはまだしもジャムで生きのびるとは…?と困惑しました。当時の私は(今も割とそうですが)、ジャムは調味料に分類されると思っており主食になるというイメージはありませんでした。その他、ムーミン・シリーズには温かいスグリのジュースなど、日本では馴染みがない料理がちょくちょく登場しますよね。ジャムも温かいフルーツジュース(フルーツシロップに近い?)も、冬の気候が厳しく雪に閉ざされてしまう地域では、新鮮な果物や野菜がとれない時期の大事なビタミン源なのだと思います。とはいえ私はムーミンたちのようにジャムを主食にするのは厳しいな!🤣

 ところで、『ゴールデンカムイ』を読んだ時にフレップ(コケモモ)が登場し、あっこれがコケモモなのか!と思いました。ムーミン谷のひとびとはコケモモジャムよりもいちごジャムが好みのようです(コケモモ、と打ったら🫐という絵文字が出てきたのですが、ブルーベリーと打って出てくる絵文字と同じのようですね)。

 

第7作目『ムーミン谷の仲間たち』(1962年)

<ストーリー>

 短編集で、作品ごとに主人公が異なります。

 

収録作品:

「春のしらべ」…主人公:スナフキン

「ぞっとする話」…主人公:小さい子供のホムサ

「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」…主人公:フィリフヨンカ(初登場の人物)

「世界でいちばんさいごのりゅう」…主人公:ムーミントロール

「しずかなのがすきなヘムレンさん」…主人公:ヘムレンさん(初登場の人物)

「目に見えない子」…主人公:ムーミン一家と少女ニンニ

「ニョロニョロのひみつ」…主人公:ムーミンパパ

「スニフとセドリックのこと」…主人公:スニフ

「もみの木」…主人公:ムーミン一家

 

<新登場キャラクター>

ニンニ🎀(「目に見えない子」で登場)

自分をひきとったおばに日々ちくちくと嫌味を言われ、怯え続けてとうとう姿が見えなくなってしまった女の子です。積極的に、主体的に生きようとする活力は、まずは怒りから生まれるのでしょう。怒りを力に変え、大きな力を手に入れろ。それがシスの教えだニンニ(?)。

▷ニンニ | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

はい虫🌲(「春のしらべ」「もみの木」で登場)

公式サイトの記事によると、「はい虫」という訳語があてられている語のうち、「クニット」が「もみの木」や前作『ムーミン谷の冬』で登場するサロメちゃんのようなヒト型の種族で、「クリュープ」が「春のしらべ」で登場するティーティ=ウーのような動物に近い姿の種族みたいです。動物に近い姿のはい虫はリスのような姿をしていますが、ムーミン・シリーズにはリスはリスで別に登場しているので、リスとは違う存在みたいですね🐿

▷クニット | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

<私が選ぶハイライト> 私の好きな話📖

 この短編集の中で私が特に好きなのは、「春のしらべ」「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」「世界でいちばんさいごのりゅう」「しずかなのがすきなヘムレンさん」です。どれも人と人とは完全に分かり合えない部分が残るけれど、それでも互いを尊重してそれぞれ自分らしく生きることはできる、ということを伝えてくれる物語だと思います。大人になってから読むと、好きでもないガフサ夫人と、お互い別に楽しくもないのに社交としてお茶会をするフィリフヨンカの姿は、妙にリアルです苦笑🫖

 

第8作目『ムーミンパパ海へいく』(1965年)

<ストーリー>

 家庭生活に閉塞感を感じていたムーミンパパは、心機一転、海に浮かぶ孤島に家族揃って転居することを決意します。ムーミンパパはそこで灯台守の仕事をするつもりだったのですが、到着してみると灯台の灯りは消え、現任の灯台守の姿はありませんでした。灯台守はどこへ消えたのでしょうか?

 

<新登場キャラクター>

うみうま🦄

ムーミントロールはこの物語で、月光を浴びて海で跳ね回る美しいうみうまに恋をしてしまいます。それで「嵐の海で遭難したうみうまを自分が救助する空想」をしたりするんですが、その妄想の中には「危険な嵐の中で船を出す自分を心配する存在」としてスノークのおじょうさんが登場したりします(物語上で実際にスノークのおじょうさんが登場することはありません)。読んだ当時は、ムーミントロールって結構浮気なやつだな!と思いました笑(コミックス版だと逆にスノークのおじょうさんが激しく浮気性です🤣)。

一方うみうまたちは、ムーミントロールが自分たちに魅了されているのを知っていてクスクスとからかいます。ムーミントロールはうみうまたちから「ふとっちょのウニちゃん」と呼ばれたり「タマゴ茸ぼうや」と呼ばれたり、なんだか可愛いギャルに惚れてしまった内気な男の子、みたいな図になっています🥚

▷うみうま/はなうま | キャラクター詳細 | ムーミン公式サイト

 

(8月28日追記:すいません、先日久々に『ムーミンパパ海へいく』を読んでみたところ、ムーミンの「うみうま救助の空想」に登場するのはスノークのおじょうさんではなくリトルミイでした…!間違えました😂

 ちなみにムーミンって浮気なやつだな!というエピソードは、コミックス版の「恋するムーミン」で描かれています。登場人物の振る舞いが愛らしいし、結構な名言・迷言も多々登場するのでよろしければチェックしてみてください笑)

 

<私が選ぶハイライト> ムーミントロールとモランの心の交流🕯

 ムーミン一家が屋敷で灯していたカンテラの明かりを追って、モランが島についてきてしまいます。ムーミントロールは夜、うみうまの姿を見にカンテラを持って浜辺に行ったところ、彼女にばったりでくわします。彼はモランがじっとカンテラの明かりを見つめているのに気づき、うみうまに再会するためと、モランにカンテラの明かりを見せてやるために、毎晩浜辺へ降りて行くようになります。このエピソードの帰着点で、私的にはムーミントロールの株が過去最高に爆上がりしました。個人的にはムーミン・シリーズにおけるベストエピソードかもしれません👍

 

最終作『ムーミン谷の十一月』(1970年)

<ストーリー>

 ムーミン一家が孤島に向かった後、それを知らずに彼らに会いたくなったお客たちがムーミン屋敷を訪れます。自分が欲しいものや、解決したい問題のヒントをムーミン一家の存在に求めていた彼らは、ムーミン一家不在のムーミン屋敷で予定外の共同生活を送りながら、少しずついろいろなことを見つめ直していきます…。

 

<新登場キャラクター>

スクルッタおじさん🎣

公式サイトにいないのでちょっとキャラクターデザインを紹介できないんですが、挿絵の見た目からするとホムサ族とかミムラ族なんでしょうか。大変年をとった人物で、子供や孫が何人もいるようですが、皆の名前も忘れてしまっていてあれこれ世話を焼かれるのをうっとうしく思っています。ある日、彼は自分の名前すらも忘れてしまい、「スクルッタおじさん」という新しい名前を自分につけ、この世の親戚のことなど全て忘れてしまうべく、子供の頃小川で魚とりをした記憶があるムーミン谷に出かけることにします。

 

<私が選ぶハイライト> ホムサ・トフト少年の心情の変化と成長📚

 私がこの物語で一番印象に残っているのは、優しくておおらかであたたかな、ある種「完璧な母」という存在をムーミンママの中に求めて谷へとやってきたホムサ・トフト少年の、心情の変化と成長です。トフト少年は実際にはムーミン一家と面識はないのですが、自分の頭の中に彼らの理想像を作り上げて信じています。そしてムーミン一家と親しい交流のあるミムラねえさんから、「ムーミンたちは腹が立ったりひとりになってせいせいしたい時は、ムーミン屋敷の裏の気味の悪い森を歩き回るんだ」という話を聞かされ、「ムーミンたちは怒ったりなんかしないんだ!」とキレたりします(無茶言うなよ…)。こうした、相手が自分の理想通りでいてくれることを求める・相手から受け取ることだけを求めるというスタンスから、自分は相手がつらい時には何ができるのだろうと考えるという姿勢に、次第にトフト少年の在り方は変わっていきます。これって当たり前のようで、大人になってもいとも簡単に忘れてしまいがちなことですよね。私はこのエピソードをいつも心の片隅に置いておきたいな、と思っております⚓️

 

🌟野暮なファンとしての疑問❓

 ここからは、私が原作小説を読んだ当時から気になっていたこと・疑問に思っていたことについて書いてみたいと思います。児童文学でそんなことを追求するのは野暮だろ、というような話もあるかもしれませんが、結構同様の疑問を抱えている方は多いのではないか?とひそかに期待しております😅

 

ムーミン一家の家族の歴史の謎?

 原作小説シリーズを続けて読んでいて、以前から「ムーミンパパ・ムーミンママより前のムーミン一家の歴史ってどうなってるんだ?」という疑問を持っています。

 『ムーミン谷の冬』でムーミントロールのご先祖さまという存在が登場します。ムーミントロール個人のというより、ムーミントロール族の祖先の姿を保ったトロール族の一人(作中では千年前のムーミントロール族の姿、と言われています)という感じのキャラクターだと思います。だから人間で言うと化石人類が現代に生きている、みたいな感じでしょうか(千年前っていうと、現代の日本からすると平安時代にあたりますね)。

 ムーミントロールはご先祖さまに出会ってから屋敷に帰って家族アルバムを開き、ムーミン一家の歴史に想いを馳せます。写真に写っている彼の先祖たちは、大抵は大ストーブかベランダの前ですましこんでいた、とあります。

 ところで、なんですが。ムーミン屋敷は『小さなトロールと大きな洪水』でムーミンパパが建てたことになっています。また、ムーミンパパとムーミンママの馴れ初めが描かれる『ムーミンパパの思い出』では、ムーミンパパはフレドリクソンが造った船・海のオーケストラ号の操舵室を引き継いで海辺の岩の上に設置し、ムーミン屋敷のような形の家に仕上げて住んでいます(おそらくその家にいる頃にムーミントロールが生まれて、あろうことかムーミンパパは妻と子を置いてニョロニョロと旅に出てしまったのでしょう)。それから、ムーミンパパは赤ちゃんの頃にムーミン捨て子ホームに置き去りにされていた、と書かれており、彼は両親も親戚も不明となっています。となると家族アルバムに映っているムーミントロールの先祖は母方のみということになりますが、ムーミン屋敷が建ったのはムーミンパパ・ムーミンママの代からなのに、先祖たちは大ストーブかベランダの前で写真に写っているとは…?まあ、ムーミン族の伝統的な家の形はムーミン屋敷スタイルだそうなので、写真のご先祖たちもムーミン屋敷のように大ストーブとベランダがある別の屋敷(ムーミンママの実家とか…作中では登場しませんが💦)で写真を撮ったのかもしれませんね。

 それからムーミン一家の家族史について若干混乱させるのが(?)、短編集『ムーミン谷の仲間たち』でムーミンパパがニョロニョロと旅をしていた期間の出来事が描かれる、「ニョロニョロのひみつ」です。この話の中で、ムーミンパパはいつも通りベランダでお茶を飲んでいたある日、ふらふらと海岸へ出かけていき、そのままニョロニョロの船に乗って旅に出てしまいます。このムーミンパパが出て行ってしまったベランダのある家は、時系列的にはおそらく『ムーミンパパの思い出』で登場する操舵室を改造した家なんでしょう。しかし、あれ、もしかしてこれはムーミン屋敷のことなのか?と混乱させる描写もあります。それは、どうやらその家の近くに「桟橋」と「ボート」があり、しかもなぜか当日のムーミンパパの行動を証言するキャラクターがヘムレンさんとスナフキンだということです。えっ、二人は『ムーミン谷の彗星』から登場したんじゃなかったっけ…?

 もちろん、操舵室の家も海辺にあったので、ムーミン谷の屋敷と同じようにそこでも海岸に桟橋を作りボートを繋いでいたという可能性もあります。それにヘムレンさんは複数人いるので、もしかしたらこのヘムレンさんは『ムーミン谷の彗星』と『たのしいムーミン一家』に登場するヘムレンさんではない可能性もあります。しかしスナフキンはオンリー・ワンですよね。

 

 ここから導かれる最悪の推論は、ムーミンパパはニョロニョロと一緒に2回も家出している(1回目は操舵室の家から、2回目はムーミン屋敷から)ということです。でも違うよね、そんなわけがないよね!?

 

その計算、まず前提から合ってないんじゃなかろうか📝

 次に、自分でもこれは完全に野暮な疑問だという自覚があるのですが、『ムーミン谷の彗星』でムーミントロール一行が売店で買い物をする場面について、私は子供の頃から疑義を持っています笑

 その売店で彼らは、スノークがノートを1冊、スニフがレモネードを1瓶、ムーミントロールが手鏡を一つ、スノークのおじょうさんがクリスマスツリーの星飾りを一つ購入するのですが、お金を払う段になって一行の中の誰もお金を持っていない、ということに気づきます(そういうのは先に確認しなきゃ…)。そこで彼らが気の毒になった店主のおばあさんは、スナフキン売店で試着をしたけれど気に入らなくて返したズボンは8マルクの品なので、皆が購入する品全部より高価だから支払額は帳消しになる、と言います(本当は皆が買う品の合計の方が74ペニー高いのですが)。これを生真面目なスノークはノートに書き写して計算し、なるほど合ってるなあ、と納得します。「だけど74ペニー分足りないのはどうするの」とスニフが言いますが、スナフキンは「そのくらいの違いなら僕たちの計算では合ってるというんだ」と答えます(YEAH, This is スナフキン Style)。

 この場面、小さい頃読んで当時ははっきりとは言えないけれど、「なんかおかしくないか…?」と思っていました。整理して考えると、スナフキンはズボンを試着しただけで購入はしてないから、そもそもズボンの所有権がスナフキンに移っていないはずですよね。だからズボンは初めから最後まで店主のおばあさんが権利を持っている品であり、ズボンもその他の品もどちらもおばあさんの店のものなのだから、物々交換として成立しないではないかということです。その上、このおばあさんはスニフが「彗星がぶつかるから一緒に洞窟に避難しないか」と誘うととても喜んで、彼らに棒キャンディーまでくれます。スニフの言い分だと、自分は彼らに74ペニー分借りがあるから、と言ってキャンディーをくれたそうなんですが、違いますよね。彼らの方が74ペニー分、おばあさんに借り(負債)がありますね(正確には8マルク74ペニー貸しにしてもらっているのに、棒キャンディーまで貰っちゃった訳です🍭)。

 

 まあ、ムーミンの世界で所有権だの負債だのなんて言葉を出すなんて、野暮ですね!😅それにおばあさんはズボンの権利は自分が持っているのだから、自分が扱いたいように物事を処理しただけ、ということでしょうかね。小さい子供達がお金が払えず困っているなんて可哀想だったから、そのための方便ですね。

 

ムーミン屋敷の人の出入りについて

 最後に、ムーミン・シリーズではムーミン屋敷に住んでいるキャラクターとその周辺に住んでいるキャラクターがいるんですが、ムーミン屋敷に住んでいるキャラクターがシリーズが進むにつれて特に説明なく移り変わるので、ちょっと混乱します。突然、どこからきたという説明もなく話の始めから住んでいるキャラクターもいますし、逆に何の説明も無いままいなくなってしまうキャラクターもいます。ちょっとムーミン屋敷の滞在者の変遷を追ってみました。

 

『小さなトロールと大きな洪水』1945年(ムーミン屋敷が初登場)

 ムーミン屋敷家主:ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミントロール

 滞在者:スニフ

 

ムーミン谷の彗星』1946年

 滞在者:

(物語スタート時点では)スニフ、じゃこうねずみ

(終了時点では)スナフキンスノークスノークのおじょうさん、ヘムレンさん、子猫、が加わる

 

『たのしいムーミン一家』1948年

 滞在者:

(物語スタート時点では)スニフ、スナフキンスノークスノークのおじょうさん、じゃこうねずみ、ヘムレンさん

(途中から)トフスランとビフスラン、が加わる

☆子猫はどこ行ったん…?

 

ムーミンパパの思い出』1950年

 滞在者(現在パート):スニフ、スナフキン

 

ムーミン谷の夏まつり』1954年

 滞在者:

(物語スタート時点では)スノークのおじょうさん、ミムラねえさんとリトルミイ

(途中から)ホムサ、ミーサ、スナフキン、が加わる

☆ちなみに、この物語からはスニフとスノークが登場しません。スノークは独立したのでしょうか。スニフは独立したか、ご両親の元へ帰ったのでしょうか?

 

ムーミン谷の冬』1957年

 滞在者:

(物語スタート時点では)スノークのおじょうさん

(途中から)ご先祖さま、が加わる

ミムラねえさんとリトルミイは、ムーミン屋敷近所の別の場所で冬眠していました。

 

ムーミン谷の仲間たち』1962年

(オムニバス形式で舞台もおそらく時期も異なるので除きます、久々にスニフが登場する話があります)

 

ムーミンパパ海へいく』1965年

 ムーミン屋敷家主:

(序盤で孤島に転居するけれど)ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミントロールリトルミイ

☆この話で、リトルミイが正式にムーミン一家の養女になっています。

 

ムーミン谷の十一月』1970年

 ムーミン屋敷家主:ご先祖さま(ムーミン一家は孤島に転居して不在)

 滞在者:スナフキン、ヘムレンさん、ホムサ・トフト、スクルッタおじさん、フィリフヨンカ、ミムラねえさん

 

 こうしてみると、一時的なお客として来ていたキャラクターだけでなく、ムーミントロールの遊び仲間だったスニフやスノークスノークのおじょうさんも、途中で屋敷からいなくなってしまうんですよね。しかもどうしてか、という説明は作中には特にありません。まあ、独立して一人暮らしを始めたのかもしれないですよね、もしくは実家の方に帰ったか。漫画『コボちゃん』でもタバタ家に下宿していて途中で結婚して独立する「タケオおじさん」というキャラクターがいましたし、そういうのって現実でもありますね。

 

おわりに〜別の記事で『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』について是非語ってみたい〜

 私なりのムーミン谷の道案内でしたが、いかがでしたでしょうか。思いがけず、今までで最長の文章になったので自分でも驚いております。ムーミン谷って思ったよりかなり広いんだな…!👀

 今回はムーミン童話全体の概要的な話になりましたが、私が「#わたしを作った児童文学5冊」に選んだ『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』については、個別に記事を書きたいという思いがあります。そこでは、やはりマイ・ベスト・ムーミン・エピソードである「ムーミントロールとモランの心の交流~うみうまへの失恋をそえて~」と、「ムーミンママとホムサ・トフト少年それぞれの物語」について語ってみたいですね。

 

👇👇あなたもやってみませんか?

ムーミン公式サイト - ムーミンキャラクター診断

www.moomin.co.jp

ちなみに私は「スナフキン」になりました。なったんだから、仕方ない。怒らないで。

 

👇👇以前、飯能にあるムーミンバレーパークに行った際に撮った写真です。宮沢湖畔の半周をぐるっと回るようにスポットが配置されており、結構歩きます👟👟

 
 
 
 
 
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 それでは、長くなりましたがお付き合いありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう!🙌

 


5月に見に行った薔薇を絵に描く練習をしてました。ムーミン・シリーズでもムーミンママが薔薇の花を育てていたり、コミックス版やアニメには薔薇を育てるのが好きな警察署長さんが出てきたり、シリーズと馴染みが深い植物ですよね。私はトーベ・ヤンソンが描く薔薇の絵が好きです🌹✨

 

 

アレクセイ・キリーロフについて語りたい📚

 皆様こんにちは。今回は、ドストエフスキーの『悪霊』に登場するアレクセイ・ニールイチ・キリーロフという人物について語ってみたいと思います。

 キリーロフは、ドストエフスキー作品の中ではイワン・カラマーゾフの次に好きな登場人物です。イワンが「知的でミステリアスだけど、なんだかとても悩んでいる人」だとすると、キリーロフは「不思議で愛らしいようで、なんだかとても危険な人」という感じでしょうか。またしても研究者ではなくただのファンとして読み取った内容になりますが、よろしければどうぞお付き合いください🌸

 

※キリーロフという人物と作品の性質上、今回も自殺や殺人といった概念が繰り返し登場してしまいます。ちょっと今はそういう内容は気分が…という場合は読まれない方がいいかもしれません(しかし今回の方が、イワンの時よりややポップでくだけた内容も入っています)。

 

■目次■

 

『悪霊』の物語について

 まず、小説『悪霊』についてざっくりと説明いたしますと、これはロシアのある地方都市を舞台に、革命的テロ行為と秘密結社の離反分子を粛清することを目的として現れた者達が、関わる人々、そこに住む様々な人々の人生を狂わせ、破滅へと導いてしまうという物語です。この小説は1869年に起きた、モスクワの農業大学の学生が所属していた革命秘密結社脱退を申し出たことにより、首領とその同志に惨殺された「ネチャーエフ事件」をモデルにして書かれています。

 小説タイトルの「悪霊」とは、ルカによる福音書の第8章32-36節に登場する、自らを「レギオン」と名乗る悪霊たちを意味しています。レギオンは集団で一人の人間に取り憑いていたところをイエス・キリストにより祓われ、近くの山にいた豚の群れに取り憑き、豚達はそのまま崖をくだって湖で溺れ死にます。ドストエフスキー無神論的思想をその悪霊に見立て、それに取り憑かれた人々の破滅を描いたとされます。

 ところで、この悪霊「レギオン」は、映画『ガメラ2 レギオン襲来』の敵怪獣レギオンや、ゲームのDead by Daylightのキラー「リージョン」等でも取り上げられていて馴染みがある?存在ですよね。そうか、だから「愚連の狂乱」で走り回るのかリージョン。

 

 この小説、もう嫌になるくらい人が死にますし、死なないまでもかなり悲しい結末を迎える登場人物が多いです。私は特に後半、シャートフ夫妻がむかえる結末がしんどすぎて心が折れ、読むのに3回くらい挫折しました…苦笑

 じゃあなんでそんな本読むんだよ、と言われたら、ドストエフスキー作品ってやっぱり面白いんですよね。それに核心部分はかなり暗くても、要素としてはクスッと笑えるところもたくさんあります。登場人物の描かれ方に、いやなんでそうなるんだよというツッコミどころが微妙に多いのも魅力ではないでしょうか。

 ものすごく暗いけど時々笑える、そんな『悪霊』の世界。それでは一緒に巡っていきましょう、ほぼキリーロフの内容だけに偏ってますが!🙌

 

アレクセイ・キリーロフ、職業は建築技師

 キリーロフは、この物語の準主人公ともいうべき美学者ステパン先生の家に、先生の友人であるリプーチンによって突然連れ込まれる形で登場します。実はリプーチンもキリーロフもある革命サークルに入っていることをこの時点では隠しているのですが、リプーチンはまだ自分が教えてもらっていない今後の計画をキリーロフが知っているものと見て、カマをかけてやろうと思ってステパン先生の屋敷に連れてきます。リプーチンが口を割らせようと余計なことばかり喋るので、初登場時のキリーロフはイライラしてとても機嫌が悪いです(ちなみに、この時点ではキリーロフとステパン先生は面識がありません。他人ん家でなにしようとしてんだよリプーチン)。

 ここで、キリーロフの容姿ですが、26~27歳くらいで、きちんとした身なりをし、すらりと背が高いやせたブリュネットの青年で、青白くいくぶん薄汚れた感じの顔に、光のない黒い目をしていると書かれています。ちょっと漫画『炎炎ノ消防隊』のヴィクトル・リヒトを思わせないでしょうか(リヒト氏はウォーリーをさがせみたいなラフな服装をしていますが)。またキリーロフには喋り方にも特徴があり、とぎれとぎれで妙に文法がおかしい言い回しをし、少し長めの文を話そうとすると言葉に詰まってしまうとあります。

 初登場時から見知らぬ人の家でぷんぷん怒っているし(リプーチンのせいですが)、話し方は妙だし(江川訳版だと「十日前、X県で別れてきたです」とか言います)、急に話の内容に耐えられなくなって屋敷を飛び出して行ってしまうし(これもリプーチンのせいですが)、初見の印象は「なんか変な人が出てきたなあ」というところではないでしょうか。でも笑うと子供っぽい明るい表情になるともあります、ちょっと可愛いですね。

 その後、この物語の語り部であるG氏が、ステパン先生の使いでキリーロフの親友シャートフに会いに行った際、キリーロフとばったり出くわし彼にお茶をご馳走してもらうことになります。この時キリーロフは自分は少食で、明け方まで考え事をしながらお茶ばかり飲んでいるんです、というような平和な日常会話をします。が、先程ステパン先生の屋敷で出た話題に触れられ、ほぼ初対面のG氏に独自の自殺論を話したことで(他にも理由はあるかもしれませんが)、「こいつ明らかに狂ってるな」という印象を持たれてしまいます。せっかくお茶、ご馳走したのに。キリーロフって、この後も割といつもこんな感じの扱いです。行くとお茶を出してくれる変人という。

 キリーロフは建築技師で、少し前まで4年の間外国に滞在しており、舞台となる地方都市には表向きは鉄橋建設作業の求職に来たことになっています。しかし彼の本来の目的は別にあります。物語中でキリーロフがその目的をはっきり明かすのはもっと後なんですが、先に言ってしまいますと、それは「祖国の地で自殺を決行すること」です。うわあ…。

 

おまけ① イワン・カラマーゾフにはなぜか容姿の描写がない…

 ここまでキリーロフの容姿等について書きましたが、実は『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフにはなぜかこうした容姿の描写がありません。服装がきちんとしているとか、後半に精神が追い詰められてきたところで顔色等の描写があったりだとか、心配した弟アリョーシャがイワン兄さんは頑丈な体をしているからきっと助かりますよね、とかいうシーンはあるんですが、具体的な容姿の描写は覚えている限り一切ありません(もしあったらファンだから覚えてるはずなんですが…)。

 カラマーゾフ家長男のドミートリーにも、三男のアリョーシャにも、なんなら私生児のスメルジャコフにも具体的な容姿の描写があるのに、イワンにだけはない。なぜだろう。「情熱」と「愛」には実体があるけれど、「智」は概念なんだろうか。私は勝手に海外ドラマ「オックスフォードミステリー ルイス警部」でローレンス・フォックスが演じるハサウェイ刑事みたいな人を想像していますが、どうでしょうか。

 

▽海外ドラマ「オックスフォードミステリー ルイス警部」公式サイト

www.mystery.co.jp

 

おまけ② ドストエフスキー作品中屈指の、輝けるワースト登場人物たち

 『悪霊』には私がドストエフスキー作品で2番目に好きなキリーロフが登場しますが、同時にドストエフスキー作品で最も嫌いな(いや失礼、シン・メフィラス星人にならって「苦手な」と言いましょう)人物が2人登場します。それは主人公ニコライ・スタヴローギンと、準主人公ステパン先生の息子ピョートル・ヴェルホヴェンスキーです。

 ピョートルは陰謀の首謀者として暗躍し多くの人を陥れ破滅させ、場合によっては殺害させる人物です。そう、彼は自分は直接手を汚しません。一方ニコライ・スタヴローギンは、並外れた美貌と能力・魅力を持っているけれど、おそらくはそんな人生がとても退屈なので他人にちょっかいを出して破滅させ、へえそんな風になるんだ!まあ面白いかと思ったけど結局つまんないからどうでもいいや、ということを悪魔的な深刻さと頻度で繰り返す人物です。2人とも作中での悪事を数えると切りがありません。うーん、好きになりようがないですね!

 ちなみに「スタヴローギンの告白ーチホンのもとで」という章は、そのあまりにセンシティブなテーマから当時雑誌掲載を断られた程の内容です。新潮文庫江川卓訳版では校正刷版が下巻末に独立して配置されているんですが、それはどぎつい。私は子供が酷い目に遭う話は嫌いです。一方、光文社古典新訳文庫亀山郁夫訳版はその章の初訳となる版を採用し、物語上もともとあるべきだった箇所に配置しています。

 また、亀山郁夫訳版のピョートルは「ですます体」で喋るので、同じことをやっていても少しばかり読んだ時の不快感が薄れます。もしかしたら読者に対してそういう気遣いをしてくださったのかもしれませんね(?)。

 

キリーロフの愛らしい側面:魅力ある変人

 キリーロフの初登場シーンで人物の概要についてざっと話せた気がするので、ここからは彼の愛らしい?側面について語っていきたいと思います。奇妙で独特の魅力がある人物です。

 

みんなのお茶所🫖

 キリーロフは紅茶が好きで、夜通し考え事をしながらお茶を飲んでいるし、人が自宅に訪問すると割と誰にでも無条件でお茶を出してくれます。だから登場人物達はお茶を飲みによくキリーロフの元を訪れます。

 しかしお茶をご馳走になりながらも、そうした客人達はG氏と同じようにキリーロフのことを「あいつは変人だ」と思っています。お茶はもらうけどあいつは頭がおかしい、頭がおかしいけどお茶はもらっとく。ピョートルに至っては、キリーロフは近いうちに自らの陰謀のためにその死を利用するためだけの存在だと認識していて、キリーロフ自身もそれを理解していますが、ピョートルは平気でお茶を飲みに来るし、キリーロフも平気でお茶を勧める。人が集まり、彼らが家の借主であるキリーロフの存在を無視して話し込んでいても、平気でお茶を勧める。なんだか変人マスターの無料喫茶室みたいな扱いになっています。お茶をもらうんだったらもう少しキリーロフに敬意を払ってもいいんじゃないのかと思いますが、キリーロフは気にせず「運動後に冷えたお茶はいいですよ」とか言っている。

 キリーロフはいい意味でも悪い意味でも、基本的にはいろいろなことを意に介さないキャラクターです。そんな飄々としたお茶所キリーロフ、ちょっと愛らしくないでしょうか?笑

 

シリアスにボケをかますキリーロフ

 キリーロフは話し方に特徴があるという話をしましたが、その特徴と真面目で冗談を言わないという性質のせいで、逆にシリアスなシーンで微妙にボケをかましているようなことがあります。彼はなぜか母国語がカタコトなんですが、江川訳版だと「ぼくは誇りを感ずるですね」とか「きみからから余分な時間の贈り物、ぼくは欲しくないですね」とか、ところどころ少々奇妙な言い回しで話しています。それがちょっと可愛い。

 また、真面目だけれど受け答えがなんだかトンチンカンなことがあります。例えば、スタヴローギンに「もしも自分が過去に月の世界で悪事の限りを尽くし、そのせいで月の住人達から永遠に呪われることになったとしても、今この瞬間に地球にいるのだとしたらそんなことなんでもないと思わないか?」という例え話をされた時、「ぼくは月にいたことがないからわからないです」と真面目に真剣に返します。いやそりゃそうだろうよ。スタヴローギンだっていたことあると思って話してないよ。

 他にも、親友シャートフの元に離れて暮らしていた妻が妊娠して帰ってきた際、出産が近づいているから手伝いの人を貸して欲しい、と言いにきたシャートフに対し、割とシリアスなシーンであるにも関わらず、自分はお産の手伝いができないと言おうとしてうまく言えず、「ぼくはお産がまずくてね」等と自分が産むかのような言い方をしてしまう。いやそれはわかってるよ、何を産む気なんだキリーロフ。

 

一見ちぐはぐな行動

 キリーロフは本人としてはブレない軸を持って生きているんですが、それが外から見ると相反する要素が共存しているようで、それらがどう見ても矛盾していて奇妙に思われます。

 例えばキリーロフは健康にとても気をつかい、背中を鍛えるために外国からゴムボールを買っていたり部屋で体操をしたりしているシーンが登場します。しかし彼は登場時点から一貫して自殺を決意しており、意志は最後まで変わりません。他の登場人物からは、自分で死ぬことを決めていて長生きするつもりもないのに、なぜそこまで健康に気をつかうのか不思議がられたりします。また、キリーロフは貧しい生活を送っていますが、自殺用に高級なピストルを買い、それをとても大事にしています。スタヴローギンが決闘沙汰になった時にそのピストルを借りるのですが、必要なものは全部準備できていますよ、と自慢します。自分が死ぬための道具を自慢するのかこの人。

 それでいてスタヴローギンに君は子供が好きなんだから人生も好きですね、と言われると、人生も好きですよ、と彼は答えます。

 キリーロフは健康に気をつかい、人生も愛しているという自殺志願者です。キリーロフが自殺をする動機というのは人生に悲観して死にたいということではなく、自分の思想を実証したいがためなので、死ぬ瞬間までは最善の状態で生きていたいということなんでしょう。普通の感覚だと理解し難いですが、自分なりにブレない軸がある人物なわけですね。だからって「とてもいいですよね!」とも言い難いけれど…これ、可愛い側面の項目に入れる内容じゃなかったかもな(じゃあなんで入れたんだ)。

 ちなみに、キリーロフはこの時間に起きるぞ、と念じた時間きっかりに起きられるという特技があるみたいです。その特技、私は大変羨ましいです。

 

おまけ③ GIFアニメにしてみたい、キリーロフの乗馬

 スタヴローギンの決闘の立会人になるため、キリーロフが決闘場所にスタヴローギンとともに馬で向かう場面があります(変人扱いだけれどなにかと頼られるキリーロフ)。スタヴローギンは元将校なので普通に馬に乗れるんですが、キリーロフは乗馬経験がないので扱いに馬が抵抗し、時々垂直立ちして振り落とされそうになります。が、彼はそれを全く意に介さず大事なピストルの箱も離さない。つまり美男スタヴローギンがスマートに馬で走っている横で、暴れ回る馬に真顔のキリーロフが乗っているわけです。なんかちょっと静かにおかしい。GIFアニメにしてみたいような気がしますね(?)。

 

小さい子のお守りもする優しさ、しかし…

 スタヴローギンが決闘の立会人になることを依頼しにきた晩、キリーロフは借りている部屋で、家主である老婆の孫の、女の赤ちゃんをボール遊びであやしてあげていました。その後、スタヴローギンに尋ねられ、子供は好きですよ、と答えます。

 こうした子守りもするという優しさや、相手にどのように扱われているかにあまり関わらずお茶を勧めるところや、ずぶ濡れのスタヴローギンが自室の床を汚してもそれはあとでぼくが濡れ雑巾で拭いときますから、など言ったりする鷹揚さから、キリーロフを『白痴』の主人公である善良なムイシュキン侯爵と同様の人物と考える人もいるようですね。こうした要素は、キリーロフという人物の大きな魅力だと言えると思います。

 しかしこの一見「鷹揚さ」に見える面は、実はこの人物の危険な側面にも直結しています。それは言い換えれば、恐ろしいまでの「無関心」です。

 

キリーロフの危険な側面:徹底した無関心

この世は全て素晴らしい

 スタヴローギンに尋ねられて子供は好きだ、と答えた直後、彼は自分はこれから永遠に辿り着こうとしていて、とても幸福だと話します。そして木の葉を見たことがありますか、木の葉は素晴らしい、この世の全てが素晴らしいと語ります。この部分だとああ、なんだか自然も愛する仙人みたいな人なのかなあという印象を持ちますが、しかし。

 キリーロフは先程まであやしていた赤ん坊について、あの子の母親は病気だから、いずれあの子は一人でこの世に取り残されるだろうけれど、それも素晴らしい、と口にします。そしてスタヴローギンが、その場合あの子は餓死したり誰かに乱暴されるような危険もあるかもしれないけれど、それでも素晴らしいのか?と尋ねると、それも素晴らしいと答えます。あの赤ん坊を殺してしまう者がいても素晴らしいし、殺さない者はもっと素晴らしい。そういうことを含めてこの世の全てが素晴らしいと理解できるようになれば、人は直ちに幸福になれる、と。「え?」っとなりますが……はい、ヤバイ人という認識で正しいと思います笑

 おそらくこの部分でキリーロフが言っているのは、「この世では全て起こるべきことが起こるべくして起きているのだから、ありのままの状態で世は素晴らしい」ということだと思います。そのことを理解できたら人間は、今のままの状態で自分はとても幸福なのだと理解できる。そうしたら自分がこれ以上幸せになるために人を殺したり乱暴したりする必要などないと知るだろう。その結果、悪事を働く者などいなくなり、皆が即座にいい人間になれる、と話します。そしてスタヴローギンに訊かれて、彼は自分はいい人間だ、と答えます。

 スタヴローギンが直後に認める通り、キリーロフはいい人間、つまり自分が今対面している物事に対しては善良な人間として振る舞っている、といえます。しかしありのままの状態でこの世の全てが素晴らしいと思っているので、自分が関わらないその前後で悪いことが起こっていても、それは起こるべくして起きたこと・起きることだから仕方ない、と考えているようです。この世の全てが素晴らしいとわかる時が来れば、人類はとても幸福になれ、全員いい人間になれるけれど、まだその時が来ていないから仕方ない。そしてその時は来たるべくして来るから、まだ現在のあるべき形で存在しているこの世の物事に自分は介入する気はない、と。これは鷹揚なようで、ものすごく危険な無関心さです。

 実際、キリーロフは自分が直面していることに対しては割と誠実ですが、物事の前後関係・因果関係に非常に無関心です。こうしたスタンスが物語中で何事にも影響しないかというと、そんなことはありません。キリーロフはこの無関心さで、支離滅裂な形で悪事の片棒を担ぐことになるのです。

 

物事の因果関係をあまり気にしないキリーロフ、その結果…

スタヴローギンの「悪ふざけ」の結婚で起こってしまった殺人事件

 この物語を読んでいてキリーロフの行動に倫理的なちぐはぐさを感じることが多々あるのですが、その中のひとつが「スタヴローギンとレビャートキナ嬢の結婚に対する対応」です。

 ニコライ・スタヴローギンは、一度スキャンダルを引き起こしてこの物語の舞台である地元の町を去った後、秘密裏に精神障害のある(作中では「神がかり」と表現されていますが)足の悪いレビャートキナ嬢と結婚してまた舞台の町に帰還します。彼らの結婚は身分的にも不釣り合いであり、このミステリアスな結婚は、きっと高尚な愛があったんだとが、自己犠牲だとかいう憶測を呼びます。しかし実情は、博打で負けてむしゃくしゃしたスタヴローギンが、行きつけの酒場でウェイトレスをしていて客からいじめられていたレビャートキナ嬢に目をつけ、こんなヤツとこの俺ともあろう者が結婚したらさぞかしスキャンダラスで面白いだろう、という悪ふざけによって行ったものだということが、スタヴローギン本人の口から明かされます(最低ですね)。キリーロフの親友であるシャートフは当時からその真意を察し、レビャートキナ嬢に優しい言葉をかけて惑わせるスタヴローギンに対し、そんな事をしたらこの人を駄目にしてしまうからやめろと再三苦言を呈します。一方キリーロフの方は、スタヴローギンに頼まれてこの秘密裏の結婚の立会人になっていたことが明かされます。なにしてんだよキリーロフ。

 この結婚は、スタヴローギンの愛を真実だと信じていたレビャートキナ嬢が、その真相に勘づいて終わりを迎えます。妻と、金を揺すってくる彼女の兄レビャートキン大尉の存在が忌々しくなったスタヴローギンは、脱獄囚のフェージカが彼らの自宅に押し入り、強盗殺人を犯すのを黙認します。ちなみにこのフェージカは、革命サークルの首領ピョートルがスタヴローギンのためにセッティングして差し向けた者です。そしてピョートルはフェージカの潜伏先として、キリーロフの借家を提供していたことも明らかになります。ますますなにしてんだよキリーロフ。

 キリーロフがレビャートキナ嬢たちにどのように接していたかと言えば、別にスタヴローギンの妻として相応しくないから死ねばいいなどと思っていたわけではないようで、酔っ払った兄のレビャートキン大尉が彼女を鞭で殴っているのを見て怒り、鞭をひったくって窓から捨てたりもしたようです。その一方で、何かをしでかそうとしているフェージカを匿い、聖書を読んでやったり、殺人を犯して帰ってきた後もじゃがいもとコールドビーフを料理しておいてあげたりしている(自分で料理もするキリーロフ)。

 そのフェージカにピョートルがぶっ飛ばされて気を失った時も、キリーロフは水をかけて正気に返らせ、体調を心配したりします。その結果、お前もし逃げたら殺すからなと、ピョートルに額にピストルを突きつけられます。キリーロフは彼が嫌いですし、ピョートルはその日のうちに、革命サークルの罪をキリーロフに被せて自殺させようとしています(もしキリーロフが自殺しない場合は自分で殺害して偽装工作をしようとさえ考えています)。しかもピョートルはその出来事の直後、サークルの他の会員達にキリーロフの親友シャートフ殺害を実行させます。つまりそのままピョートルを野放しにしたらまずかったわけです。なにをしたらなにが起こるかにもっと関心をもってくれよキリーロフ。

 

親友の死に利用された自殺

 キリーロフは外国にいた頃、自分が所属する革命サークルに対し、自分はいずれ自殺することを決めたから、サークルの目的のためにその死を役立ててくれと伝えていたことが明かされます。そしてそれと引き換えに、死ぬ時はどうしても祖国で死にたいから、旅費を工面してもらうという取引をしています(そのことについてピョートルに指摘された時、借りた旅費は帰国してから返済したと反論していますが)。

 キリーロフが自殺するのは、自分の理想を実行し世に知らしめるという、彼にとっては最上級に尊い目的を果たすためです。しかし革命サークルにそれをいいように役立てて欲しいと伝えた結果、その死は彼の親友シャートフの殺害の実行と、その罪を被せられるという形で利用されてしまいます。

 殺害された日、シャートフは別れて暮らしていた妻が帰ってきて、赤ん坊を出産し、幸福の絶頂にいました。その赤ん坊はスタヴローギンの子でしたが、シャートフは3人で生きていこうと決意し、キリーロフもそれを祝福しています。

 ピョートルがシャートフの死を告げた時、キリーロフは驚きます。しかしすぐにお前が殺したな、昨日から見抜いていた!と叫びます。ピョートルには見抜けなくてどうするんだと嘲られますが、キリーロフはさらに、お前はジュネーヴでシャートフに唾を吐きかけられたことを恨んで殺したんだ、と言い募ります(危険なヤツになんてことしてんだシャートフ)。

 一度は激怒してピョートルを撃ち殺そうとするようなそぶりも見せ、罪を被る遺書を書く事を拒否するキリーロフですが、しかしながら彼は結局、親友シャートフ殺害の罪を被ることも構わないといって承諾します。起きたことは起きたこと、そしてこの世の物事は全て起きるべくして起きている、ということでしょうか?いや、無責任がすぎるぞキリーロフ。自分がなにをしたらなにが起こるかに事前にもっと関心をもってくれ。

追記:キリーロフはシャートフの死を聞いて少なからずショックを受け、自分を含め誰も彼もがみな卑怯者だとわかったから、今すぐ自殺したいと言います。シャートフに迫る危険を知っていながら、最悪の結末を防ぐ努力をしなかったのだから、結局は自分がシャートフを殺したも同然だと考えたのかもしれません。

 

おまけ④ 不器用なるシャートフ

 革命サークルの仲間に殺害されてしまう元大学生イワン・シャートフは、真面目で正直者だけれど偏屈で、不器用で、怒りっぽくて、恥ずかしがり屋で、ちょっと(かなり?)傲慢という癖のある人物です。親友であるキリーロフとは資本主義社会での労働を体験することを目的に、一緒にアメリカにまで行った仲ですが、物語の語り手G氏にキリーロフのことを尋ねられると、「ロシアの無神論なんて駄洒落の域を出たことがない、あいつは紙でできた人間だ」とか言ってしまいます(そういうとこだぞシャートフ)。

 そういった気難しさで誤解?されがちなシャートフですが、その実態の不明瞭さから賛美されたり慕われたりしがちなニコライ・スタヴローギンが、本質的にはどういった人間なのか、割と正確に理解している数少ない人物でもあります(おそらく彼の妹のダーリヤも同様です)。スタヴローギンはざっくり言うと並外れた能力はあるけれど、何事にも熱中できないという性格です。自分はこういう考えを思いついて、人によってはそれは生涯をかけて追及するテーマになり得るけれど、自分で追及する気力も集中力もない。よし、それでは誰かにこの思想を移植してどうなるか見てみよう。そんな彼の暇つぶしの思考実験みたいなものに使われてしまったのがシャートフとキリーロフという存在です。キリーロフはそうした意図を知ってか知らずか(スタンスが徹底した無関心だからなんともいえませんね)、スタヴローギンのことを自分に命をかけるべき啓示を与えてくれた存在として感謝していますが、シャートフは自分たちがそれぞれ真逆の思想の種を与えられ、経過を観察されていた実験動物のようなものだということを自覚して怒りを覚えてもいます。

 また、スタヴローギンがレビャートキナ嬢と結婚した動機を知っている数少ない人物でもあり、その怒りから客人の前で突然スタヴローギンを無言でぶん殴ったりもします(言葉で糾弾すればいいのに、そういう不器用なところがシャートフらしさでもあります)。それを見た人々は、元々は所有する領地の農奴の息子であるシャートフによる、この上なく無礼な振る舞いに耐えた聖人?としてスタヴローギンを讃えてしまいます。しかし後にシャートフがスタヴローギンに対し、そうした屈辱的な出来事があなたの退屈な人生にとってはとっても刺激的で愉しかったんでしょう?と詰め寄ると、スタヴローギンは苦々しげにそれを認めます(そんなこと認めないでくれよ…)。

 そうした慧眼からか、シャートフは革命サークルに見切りをつけ、元の仲間たちに裏切り者として目をつけられてしまいます。スタヴローギンはその危険性についてシャートフに警告しますが、彼はあんな奴ら恐るるに足りないと啖呵を切ります(本当は恐れるべきだったんですけどね…)。

 シャートフは妻が出産した晩、革命サークルの仲間に呼び出され、心配した彼女が止めるのも聞かず、これで過去に決別するんだと言って出かけていきます。これは最後の一歩であって、これから先は新しい道が開ける。これから先はもう昔の恐怖なんか思い出すこともないんだ!…そんな言葉を残して、彼はそれと知らずに死地へと赴くのです。可哀想なシャートフ、19世紀からすでに、フラグというものは存在したのでした。

 

キリーロフの物語の結末

人間の自由を証明するための自殺

 さて、キリーロフが自殺する理由です。彼は決行する直前、ピョートルにその目的を尋ねられて、僕は自殺して神になるつもりだ、と答えます。この時点でああもう駄目だこの人…と言う感じもしますが、もう少し丁寧に話すと、「僕は自殺を決行し、人間が神から自由であることを世に証明する最初の人柱になる。僕がそれを決行することで、後の世では人間自体が己れの命に対して主体的な意思を持った存在、すなわち誰に支配される存在でもない、己れにとっての神になれるのだ」いうことを世に示したいがために自殺する、ということです。つまり人間は誰の力によっても支配されない、完全な個人の意志によって生きる存在だということを証明する。そのための究極の選択が己れの手で己れを殺すことだと。

 彼がなぜこのような思考に至ったかというと、実はキリーロフは父なる神を信じていないという意味では無神論者だけれど、人の子であるイエス・キリストの熱烈なファンである、という人物だからです。キリーロフは人間としてのイエス・キリストのことは熱烈に敬愛している、しかしその彼を自分の目的のために死なしめたという、父なる神という存在がどうしても受け入れ難い。だからその存在に服従することを拒否し、人間として新しい自由を主張する。

 こうした点において、ドストエフスキーの描く無神論者は、愛情深いが故にこの上ない苦しみを背負ってしまった存在、ということができるかもしれません。『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフは子供という無垢で弱い存在を、キリーロフは自分が最も尊敬し得た人間を犠牲にする権利など誰にも認めないと憤ります。イワンは荒野の悪魔に、キリーロフは黙示録の怪物に喩えられることがあるようですが、2人とも愛情が深いが故に天から堕ちてしまったという、非常に悲しい存在かもしれません。

 しかしながら、キリーロフが最後に明かす命をかけたこの決意を聞いているのが、彼が自殺を決行するか否かしか気にしていないピョートルだというのは皮肉なことです。

 

ホラーすぎる最期

 キリーロフの最期の描写は、なかなかにホラーです。

 ピョートルの指示により革命サークルの罪を被る遺書を描いた後、彼はピストルを手に隣の部屋に飛び込み、ぴったりと扉を閉めてしまいます。ピョートルは早く銃声がしないかとジリジリして待ちますが、ずいぶん時間が経ち、とうとう待ちきれなくなって、キリーロフが怖気づいたのではないかと疑って扉を開けます。すると蝋燭の灯りもない部屋の奥から、キリーロフが凄まじい形相で叫び声をあげて飛びかかってくるのを目にします。ピョートルは急いで扉を閉め、あいつは決意を覆した、俺がこの手で殺さなくては!と心臓をバクバクさせてピストルを構えます。しかし室内はシンと静まり返ってしまいました。死のような静寂。ピョートルは決意を固めて扉を開きます。この辺りからはもうホラーサスペンスです。

 扉を開けると、部屋の中には誰もいない。呼んでも返事もない。訝しんで、ピョートルが室内を見回すと…窓際の戸棚と壁の隙間に、キリーロフが身動きもせずにじっと立っている。蝋人形にでもなったかのように、虚空の一点を見つめて。ピョートルがぞっとしたことには、キリーロフは表情ひとつ動かしていないのに、こちらをじっと観察していることが伝わってくる。怒りに駆られたピョートルが彼の顔に蝋燭の火を近づけ、その肩を掴むと…キリーロフは頭で蝋燭をピョートルの手から払い落とし、無言のまま、その左手の小指に食いちぎる勢いで噛みつきます。

 ギョッとしたピョートルはなんとか指をもぎ離し、部屋から逃れ出ます。すると「今すぐだ!」という恐ろしい叫び声が繰り返された後…高らかな銃声が一発。

 …どうでしょうか。月の光だけで照らされた暗い部屋、その青い闇の中、壁と戸棚の隙間に石化したようにじっと佇むキリーロフ。こちらを見てはいないのに、なぜかこちらを見ていることが伝わってくる。顔にはなんの表情もないのに、彼はこちらを嘲笑っている。ちょっと描いてみたくなりませんか。

 

まとめ:愛らしく鷹揚、支離滅裂で、不気味な存在👻

 ここまで、私なりにキリーロフの愛らしい側面と危険な側面についてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。2番目に好きな人物だといいながら全面的に褒めてはいないし、もしかしたら「本当に好きなのか?」と思われてしまうかもしれません。しかし、好きな人物とはいえ自分が思い込んだ理想を投影するよりは、冷静にどんな人物かを受け止めていたい、というスタンスで描きました。かなり危険な人物ではありますもんね。キリーロフの魅力は、愛らしく鷹揚だけれど、支離滅裂なアンバランスさがあり、どこか不気味な雰囲気を纏う存在であることではないでしょうか。

 もし元気があったら、前回は思考的な部分に終始してしまったので、今度はイワン・カラマーゾフの恋模様と彼を取り巻く人間関係についても書いてみたいですね。

 

今回はこのあたりで。長い文章になりましたが、お付き合いありがとうございました🌸

それではまた!

竜舌蘭は、その生涯の最後に一度だけ花を咲かせ、枯死してしまいます。どこか切ないような生態です🌿

 

 

 

 

イワン・カラマーゾフについて語りたい📚

はじめに

 ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』に登場する、イワン・カラマーゾフという人物について語らせてくださいーー。どんな作品にも、この人物ほど描かれる思考や行動が私の心にクリーンヒットする存在は今のところいません。学生時代に読んで以来、彼は私の「永遠の心の恋人」ともいえる人物です。私がこの本を読んだのは大学一年生の春なのですが、彼は私が当時抱えていた悩みや葛藤とちょうどシンクロするようなキャラクターでした。というわけで、是非是非語りたい。

 今回はイワンがどういう人物で、どんなところが私の心を掴んでいるのかについてまとめてみたいと思います。とはいえ、研究者ではなくただのファンですし、最後にこの本を読んでからだいぶ時間が空くので細部について間違ったことを書くかもしれません。その場合は気づいたら随時訂正します。少々長い文章になりますが、よろしければお付き合いください😊

 

※この記事は以前Privatterで公開した記事を一部修正・加筆したものになります。基本的には同じ内容ですが、今回は目次機能等を試してみたいと思います。

※結構暗く、重く、絶望的な話です。物語上、殺人や自殺といった概念が登場しますし、あまり気分の良くない事件の話も出てきます。ちょっと今はまずいかな、という場合は読まれない方がいいかもしれません。

 

■目次■

 

イワン・カラマーゾフは謎の人?

なぜならイワンが言っていることの意味がよくわからなくても物語は楽しめる

 イワン・フョードロヴィチ・カラマーゾフカラマーゾフ3兄弟の次男で、長男ドミートリーが「情熱」を、三男(にして主人公の)アレクセイが「愛」を体現しているのに対し、「智」を体現している人物とされます。イワンは大学で工学を学んだ理系のインテリです。

 しかし、なんですが…この人は作中でいきなり独自の無神論を展開したりと、かなり文系的で形而上の話題に強い人物として描かれています。しかも聖書のエピソードを事実としてあり得るか?と言うようなスタンスで研究するのではなく、それらが表している信仰上の意味を理解し、説かれている理想と現実での人々の心の拠り所の違いを分析し、その上で自分の不信の苦しみを叙事詩にして表現したりもできます。なんなんだろうこの理系。

 技師キリーロフといい、ドストエフスキーの描く理系の人々は文系的な話題にものすごく強いんですよね。宗教の話ってその形而上の意味を理解するには、文系でも最上級の力を必要とする気がします。ドストエフスキー作品で描かれる無神論者の思想には、ドストエフスキー本人の神の不信への苦しみが表されているとされています。この人たちはある意味で作家本人の分身なんですね。

 イワンって何言ってんのかよくわかんねえよなあ。なんか小難しいこと言ってるみたいだけど、思想的な意味で語ってる部分は「父殺し」の物語の進行とあんまり関わらないし、わかんなくてもストーリーは読めるしなあ…という気分になってしまっても、正直、『カラマーゾフの兄弟』の物語は読めてしまいますよね。私も一番好きな登場人物とはいえ、言ってることがよくわからない部分がまだたくさんあります。少なくとも、「全ては許されている」って、そのままの意味で受け取られるとどうもイワン的には困るらしいってことがすごく重要なのはわかるんですが…。

 

イワンの語る思想は全て「反語形」である

 イワンが自分自身の本当の考えを明かさず相手への挑戦的な問いかけで話を進める上に、弟のアリョーシャ君が言葉が少なくても相手の魂の核心部分と共鳴できる超人であるがために、イワンが本心で考えていることは、少なくとも物語の途中までは、非常にわかりづらいですよね。イワンが作中で述べるのは(というか述べている中で私がキャッチできたのは)、

「人間の魂の不死など存在しないのだから、魂の不死の教えに基づく理想も信念も掟も全て意味を持たないことになる。結果、善も存在しないことになり、倫理的に人間を縛るものなど何もなく、何をしても全ては許されているという答えが導き出せる」

「まだ何の罪も犯していない嬰児・幼児・児童の虐待と非業の死に対し神は沈黙しているが、彼らの犠牲は本当に必要なのか、死後に恩寵が与えられればそのような非道が許されて良いのか。また、神の御心にかなう者は犯人を赦すのが本当に正しいのか」

「人々が求めるのは愛と赦しではなく、裁きと服従であることが歴史的に証明されているではないか(「大審問官」)」

といった思想です。

 

不死の魂など存在しないから、全ては許されている

 物語の序盤、カラマーゾフ家で起きている財産相続の問題について、イワンはなぜかアリョーシャのいる修道院で長老たちを立会人にして話し合いたいと主張します。そして修道院に関係者が集められた席で、イワンはこの考えを口にします。

 最初読んだ時は「ああこういう考えをする冷静でニヒルな人物なんだなあ」と思ったんですが、しかし。

 直後に、ゾシマ長老に「あなたは自分の魂の不死も信じていないけれど、自分が今言ったことも実は信じてはいませんね」ということ指摘され、イワンは動揺して「そうかもしれないが、まるっきり冗談で言っていたわけではない」と奇妙な告白をします。

 ここでわかるのは、イワンは自分の本心を反語で隠しているということです。

 本当は理想も信念も掟も(すなわち善を生み出すものが)、人間の中に存在していて欲しいのに、どうもあるとはとても思えない。だが本心では存在していて欲しい、それでなければ自分はこの世で生きていく価値を見出せないから。それでは、なぜ存在していないと自分は考えているかを論理的に組み立てて教えるから、誰か僕にも納得できる形でそれを反証してみてくれませんか?

 つまりイワンは誰かが自分の意見に反論して自分を納得させる答えを出してくれるのを待っているわけで、本当に「全てが許されている」なんて信じてはいないのです。というか、倫理的なことが全て無視され許されているなら、そんな世ではもう生きていたくないとさえ思っている。

 イワンはゾシマ長老に、あなたの中には解決されない悲しみがある、と指摘されます。イワンの解決されない悲しみ、それはこの世に絶望しか見出せない自分自身の思考だと思います。そこから解放されたいのに、自分の力では抜け出すことができない。

 では、イワンを絶望させるものとは何でしょうか。それは次で述べるような理不尽で非情な現実です。おそらくそういった新聞記事を読む度に、お前たちのような醜い罪人に不死の魂など与えられていてたまるか!という気持ちを新たにするのでしょうね…。

 

死後に恩寵が与えられようが、祝福されようが、死んでいった子供たちの苦しみは決して贖われない

 中盤(かな?)、アリョーシャは料理屋でイワンと食事をし、兄が本心では何を考えているのか聞く機会を得ます。ここでアリョーシャはこの物語の中で有名な叙事詩、「大審問官」の話を聞くことになるわけですが、その直前でイワンが話す話もかなり興味深いです。

 イワンはアリョーシャに突然、俺は嬰児・幼児・児童の虐待事件の新聞記事のコレクターなんだ、ということを伝えます。

 ここの部分だけだと「えっなんだこの人そういう話で興奮するタイプの異常者だったのか…?」と思わせますが、さにあらず。彼は罪もないこういった子供たちが犠牲になって無惨に死んでいっている現実にひどく悲しみ、こうした事実を自分が神が信じられないと考える理由を補強する材料として集めているのです。

 苦しみの中で死にゆく子供達を、神は救わない。その祈りも届かない。死後に恩寵が与えられようが、祝福されようが、そんなことに意味はない。彼らの苦しみの復讐が果たされていないのに、赦しは尊いものとして犯人は許されるなんてあり得るのか?

 なんか変化球で入ってくるからわかりづらいけど、全てのことに冷淡そうに見えるイワン、実は意外とものすごく心優しい人間です…!

 イワンは子供が犠牲になったある残虐な事件をアリョーシャに聞かせ、お前はこの犯人をどうすべきだと思う?と問いかけます。彼は神の敬虔な信者である弟が、思わず「銃殺にすべきです!」と答えたことにひどく喜びます…。

 イワンはアリョーシャをとても尊敬しています。なぜなら自分が超えられなかった不信の壁の向こう側にいる人物だから。そのアリョーシャに自分の考えに同意してもらえることが、彼には何より嬉しいわけです。しかし、それにしてもこれは随分とサディスティックな喜びの得方ですよね。

 

せっかく与えられた赦しの教えより、人々は審判の日を待ち望む

 カラマーゾフの物語中で有名なイワン作の叙事詩、「大審問官」の内容です。

 イワンはこの中で、イエスが与えた赦しの教えは高尚すぎて、人間はそれを受け取るのに値しない、ということを述べています。それよりも人間が望むのは規則による支配と隷属、そこからもたらされる秩序、そして和解ではなく復讐であると。

 いやはや、どこまでも人間が嫌いな人ですね…笑 でもまあ、そうだよな、とも思います。

 イエス磔刑と罪の赦しに意味を見出すか、それとも審判の日の到来に意味を見出すかで、キリスト教の信じ方のスタンスは大きく変わってくる、という考えに私も同意します。前者は人の罪を許すために、後者は人の罪を裁くために信仰するのではないか。確かに、人間は許しより復讐を望んでいる場合が多いかもしれませんよね。自分の罪の赦しだけは望んでるかもしれませんが…苦笑

 この考えについても、彼はアリョーシャに感想を求めます。アリョーシャは、叙事詩の結末としてイワンが考えているのと同じように、再臨したイエスが老審問官にしたように、兄の唇にキスします。

 これでイワンは信仰の人アリョーシャが俺の考えを肯定してくれた!と有頂天になりますが、そうじゃありませんよね。アリョーシャは自分の兄の苦しみに深く同情しただけです。

 兄さん、こんなに苦しんでたんだ…こんな絶望的な考えにとり憑かれていたら行き着く先は自殺しかないじゃないか…!

 アリョーシャ君は他人の心と簡単にシンクロできる人物だからチョクでわかるんだろうけど、イワンが考えていることって何だかとってもわかりづらいですよね。

 

アリョーシャが大好きなイワン、だけど彼のことは…

 イワンは冷静で落ち着き払って安定感があるようで、内心は常に自分の絶望的な考えに苦しめられている、なかなか不安定な人物です。彼は自分では希望の「光」を作り出せない人であり、だからこそ、「光の化身」ともいうべき弟のアリョーシャのことをとても愛し、尊敬しています(愛しすぎて時々憎たらしくもなるようですが)。

 イワンは俺の気持ちが明るくなるのはお前のことを考えている時だけだよ、とアリョーシャに伝えます。彼にとっては弟だけがこの世に残された唯一の希望の光であるわけです。

 しかし…そんな「絶望の人」であるイワンから希望の光を見出してしまった人物がいます。

 それはカラマーゾフ家に下男として仕えている、父フョードルに認知されていない私生児・スメルジャコフです。このことが両者にとって悲劇を生みます…。

 

 スメルジャコフとイワン

イワンは彼の弟かもしれないのに…

 スメルジャコフは父フョードルから認知されていないだけで、本当はカラマーゾフ家の「次男」かもしれない人物です(次男、で合ってますよね?💦)。この人はおそらくこの物語中で最も深い闇を抱えた人物かもしれませんね。

 人物紹介の段階で、彼の生来の残忍性と独創的な知性が強く印象に残ります。また、彼は心の中に強い感情を抱えていることをこちらに感じさせながらも、意味深長で断片的な仄めかしでしか自分の思考を語らないため、何を考え望んでいるかがイワンとは違う意味で非常に読み取りづらい人物だと思います。

 イワンが考えていることだけでも理解が難しいのに、そのイワンでさえスメルジャコフが自分に執拗に仄めかしてくる「何か」が読み取れなくて苦悩する、モスクワ行き前夜の場面は、読んでいるこちらの頭がぐわんぐわんしてきます。

 イワンはスメルジャコフが、「神が光あれと言って世界を作ったのに、太陽や月、星々を作ったのは4日目だなんて、1日目は何で光ってたんですかね?」と育ての親グレゴーリーを嘲った(そしてものすごいビンタを食らった)エピソードを聞き、「こいつ結構見所あるヤツだな!」と関心を持って自分から接触します。しかしそのうちなんかこいつ俺と話合わないな…と思い始め、徐々に自分に馴れ馴れしくなり始めたスメルジャコフを不快に感じ始めます。自分から接触したのに酷いヤツですね…笑

(ところでイワンって、怜悧なインテリのくせに不快に感じた時の解決方法がなかなかに暴力的ですよね。マクシーモフを馬車から突き飛ばしたり、酔っ払いの歌が癇に障ってすれ違いざまにタックルをかましたり、スメルジャコフに対しても、おいてめえいいかげんにしねえとぶっ飛ばすぞ!というスタンスで接します。冷静に論理を語っている時とのギャップがすさまじいですが、私はイワンが内面に隠すそういう凶暴性も結構好きだったりします笑)

 イワンは、スメルジャコフが自分としている哲学的な話題の途中等で急に怒りっぽくなって黙ったりするのが理解できず鬱陶しくなり、またものすごい自尊心を見え隠れさせるようになってきたのが憎たらしくなったようですが、スメルジャコフからしたらそれって致し方ないことだよな、と思います。

 スメルジャコフは生まれた時から不当な扱いを受けて続けていますよね。

 彼は父(と思われるフョードル)から認知されないからカラマーゾフ姓を名乗れず、本当は弟かもしれないイワンに対して「若旦那様」として接するしかありません。また、知性で言えば長男のドミートリーを遥かにしのぐのに、下男として扱われているのでイワンのように大学で学問を修めることもできませんでした。本当は彼だって全然違う道が開けたかもしれないのに、出自ゆえに常に正当に評価されていない。それは内心に怒りも抱えるというものですよね。

 スメルジャコフがイワンに馴れ馴れしくなった理由(というか単に親愛の情を示そうとしただけだったのでは…)、それは本当は弟かもしれない彼から一目置かれ、二人だけの「秘密」を共有できる立場になったと感じたのがとても嬉しかったのではないでしょうか。

 その「秘密」というのが…これまた凶々しい…。

 

「父親の殺害」の共犯関係として生まれるはずだった擬似「兄弟の絆」

 スメルジャコフがイワンに執拗に仄めかしてくる「何か」、それは僕のためにもあなたのためにもなるのだから、どうか父フョードル殺害のGOサインをください、ということです。怖っ!

 不思議なのは、スメルジャコフはフョードルの殺害にどうしてもイワンの許可を必要としていることです。事前に全ての手筈は整い(そこが怖い)、別にイワンが何も知らずにフョードル宅から出ていくだけでも万事実行できるはずなのに、なぜか彼は自分の犯行の計画をイワンと共有したがります。

 これは共謀して父を殺害した、という秘密を共有することで、自分とイワンの間に特別な絆を作りたかったのではないかと思います。つまり、父フョードルのせいで兄弟とは認められなかったけれど、フョードルの流す血によって今度こそ結びつけられる、擬似的な「兄弟の絆」というわけです(言ってて怖っ)。こんな形でしか絆、作れなかったのかよ…。

父フョードルも結構哀れな人かも…?

 ところで、スメルジャコフは自分の不当な待遇の元凶であるフョードルを殺したいほど憎んでいたわけですが、フョードルの方はそれほど嫌っていなかった(むしろ信用していたし割と愛していた)というのが哀れです。

 この本を読む前、「父殺し」の物語と聞いて、その父というのは強権的で強欲で抑圧的な、子供たちにとって恐るべき「壁」となるような人物だと思っていたんですが、物語中のフョードルは随分軽いというか、道化的というか、どちらかというと「父親らしくなれなかった人物」という感じですよね。私の知人には「フョードルのダメっぷりがむしろだんだん可愛くなってきた、死んでしまうと思うと物語を読み進めるのがツライ」と言っている人もいました…笑

 

「光」だと思ったのは「光」じゃなかった

 スメルジャコフがフョードル殺害を「やっていいことなんだ」と考えるようになったのは、イワンの「全ては許されている」という言葉を文字通りに信じたからです。スメルジャコフはイワンによって自分の人生に光明がもたらされたと感じ、イワンも自分を支持してくれるものと信じて、それを実行に移します。

 しかし、イワンはそれを支持してはくれませんでした。彼は「全ては許されている」とは思っていないのですから。

 事件後、初めのうちはスメルジャコフはイワンが全てを知りながらしらばっくれて罪を自分一人に被せようとしているのだと考え、怒りに燃えます。しかし最後の対面で、イワンが実は本当に事件の真相を知らなかったことを知り、呆然とします。

 スメルジャコフは実の兄弟とようやく共有できる秘密の絆を持つことができたと思ったのに、それは幻想でしかなかった。イワンと自分は何も共有などできていなかったし、イワンは自分のことを理解してくれていなかった。自分が信じてきた「希望」を教えてくれた人は、それを信じてなどいなかった。

 スメルジャコフはイワンに、あなたが僕を馬鹿だと思っていたのは、あなたが傲慢だからです、と伝えます。

 イワンという人物は、自分が慕うカテリーナとの関係では随分マゾヒスティックなのに、自分を慕う人たちに対してはものすごくサディスティックですよね。リーザからもらったラブレターを破り捨てるシーンもなかなか印象的です(リーザは大事なアリョーシャの元婚約者なので、その恋心を受け入れてしまうと倫理的にイマイチ、という考えもあるのでしょうが、解決法がなかなか加虐的です)。

 イワンはスメルジャコフの態度を許せない馴れ馴れしさだと考えて激怒していますが、スメルジャコフの側からすれば、それは尊敬する「弟」に親愛を示しているのであり、イワンがアリョーシャに抱く感情と本質的にはあまり違いがなかったのではないでしょうか。

 アリョーシャはイワンに深い愛情と同情を返してくれますが、スメルジャコフはイワンから「俺はお前と同じじゃねえよ!」という憎悪しか受け取ることができません。実際、二人が考えていたことはかなり食い違っていたわけですが…。

 スメルジャコフの自殺は、あなたが罪を償おうとするなんてナンセンスだし、あなたの考える正義なんて実現させませんよ、という最後の復讐の意味もあったのかもしれません。

 

 良心の呵責に苦しむ自分をも嫌悪する「可哀想な人」

 結局、イワンはドミートリーがかけられた嫌疑を晴らすため、スメルジャコフから聞いた事件の真相を法廷で語りに行き、裁判の場で発狂します。

 イワンの内心では矛盾する幾つもの考えがぐるぐると渦巻いていますよね。

 無実の罪だから兄ドミートリーは救われなくてはならない、だが恋敵だから本当はいなくなって欲しいし、正直ドミートリーのことは好きじゃない。でもそんなことは正しくない、だが何に対して正しくないのか?自分は正義も神も信じていないのに何に対して正しい必要があるのか?

 スメルジャコフとの最後の対面を果たした、法廷での証言前夜、イワンの自意識は「悪魔」という幻覚の形をとって現れ、彼をちくちくと苛みます。君って、偽善者で小心者ですよねぇ、本当はお兄さんがいなくなれば都合がいいって思ってるのに悪党にもなれない、でも信念を貫いて善人にもなれない。本当に中途半端ですね、良心の呵責って良心的な人にしかないものですが、君はニヒルで冷徹を気取ってたのに良心は取り外せないんですねぇ。

 私はこの、イワンが悪魔と対峙する場面が大好きです。結局イワンは本質的には良心的な人間だったのに、そんな己が好きになれなかったんですね。イワンは他人の欺瞞が大嫌いですが、自分自身のことだって同様に、好きではないといえます。

ところであなたひょっとして『悪霊』のステパン先生ですか?

 この「悪魔」なのですが、よその家で食客になっているみたいなとか、結構見栄えのする人物だとか、親戚の家に預けた、節目節目にグリーティングカードのやりとりをする程度の疎遠な息子がいる感じがするだとか、いろいろイメージの詳細が書かれています。そしてそれらのイメージはどうも『悪霊』に登場した美学者ステパン・ヴェルホヴェンスキー先生に重なるところが多い気がします。

 ステパン先生は『悪霊』で、息子を中心とした若い世代に陥れられ、嘲られ、悲運を辿りましたが、ここへきて悪魔に転生して、別のロシアの若者を腹いせにいたぶりに来たとでも…いうのでしょうか…?笑

 

おわりに ~次は『悪霊』のキリーロフについて語りたい~

 どうだったでしょうか。本来の専門は仏文学なので、これまでロシア文学のイワンについて語る機会はなかなか得られず、ここで彼への思いを一気に解放できて個人的にはすごく嬉しいです。露文が専攻できる大学ってほぼないですもんね。

 次はできるなら、『悪霊』のアレクセイ・キリーロフについて語ってみたいです。キリーロフもドストエフスキー作品ではイワンの次くらいに好きなんですが、キリーロフはイワンよりも危険な人物と言えますよね。彼はざっくり言うと、「僕は自殺を決行し、人間が神から自由であることを世に証明する最初の人柱になる」という思想を持っていて、それを本当に実行するというキャラクターです。彼がそれを決行することで、後の世では人間自体が神になるのだそうで。物語の背景には実際に起きた殺人事件がモチーフとしてあるし、次も明るい話になり得ませんね!はっはっは。

 

 今回はこのあたりで。長くなりましたが、お付き合いありがとうございました🙇‍♀️

 それではまた!

先月は春薔薇をたくさん見て来ました🌹

 

 

 

 

はじめまして🌟

岸川珪花のブログへようこそ 💐

 はじめまして、岸川珪花(キシカワケイカ)と申します。

 今年の3月から活動をスタートしたインディーズのクリエイターです。自分の表現したいものを、イラストやオルタナティブ・コミック、文章、短編アニメーション等、様々な方法で形にする挑戦をしています。どうぞよろしくお願いいたします。

 現状では作品数がまだ多くないのですが、以下のサイトでいくつか作品を公開しています。よろしければ是非覗いてみてください。

 

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(2022.9.22追記:pixivにもページを開設しました!ポイピクに絵が貯まってきたらアップする形で活用しています。よろしければこちらも覗いてみてください🌸)

▽岸川珪花 pixiv

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 以前は「ルイカケイ」という別名義でPrivatterに文章を投稿していたのですが、こちらのブログに移行することにしました。

▽ルイカケイ Privatter

privatter.net

 こちらのPrivatterは元々は就活の面接で自分の好きな作品等についてプレゼンすることを求められた場合に備えて、自分の考えを整理して伝える練習として始めました。

 

好きなもの

 私の好きなものは可愛いもの、不気味なもの、カッコイイもの、抒情的でありながらある程度の冷静さと客観性は失わないもの、洗練されているけれど庶民的なもの、です。自分で作るものに必ずしも反映できているわけではないんですが、そういうものを作ることを目指しています。あと、真面目に考えて生きる人達を肯定し、勇気づけられるものが作れたらいいですよね。

 私はキャラクター雑貨が好きで、最近はミッフィーとちいかわが好きです。Privatterを始めた時はMarilyn Mansonの曲にハマってましたが、最近は久々に聴いてMUCCにハマっています。今更ですが『惡』のMVカッコいいですね!DIR EN GREYも詳しくはないけど結構好きですし、米津玄師のファンです。最近は人生で初めて興味が湧いて心理学関係の本を読んでいます。好きな文豪はヴィクトル・ユゴードストエフスキー夏目漱石です。好きな漫画は『動物のお医者さん』と『夢降るラビット・タウン』、過去に読んで一番絵がスタイリッシュだと思った漫画はJhonen Vasquezの『Johnny the Homicidal Maniac(殺人狂ジョニー、略称:JtHM)』です。でも話はかなりトンデモナイので絵だけリスペクトしたい。同じくエドワード・ゴーリーの絵本と絵の雰囲気は好きですが、子供が酷い目に遭うのは好きじゃないのでそちらも絵の雰囲気だけリスペクトしたいところです笑

 その他、いつかゲーテの『ファウスト』、ドストエフスキーの『悪霊』、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を漫画化してみたいという野望を持っています。さて、いくつ実現出来るかな。

 

とりあえず今回はこんな感じで。お付き合いありがとうございました🌸

それではまた!

星に導かれる、シーツを被った小さな隠者🌟