岸川珪花の考えごと

日々の思いや自主研究、好きな本や音楽のことなどなど

ムーミンとモラン、ムーミンママとホムサ・トフト少年の物語📚

 皆様こんにちは。今回は、私が「#わたしを作った児童文学5冊」に選んだ『ムーミンパパ海へいく』『ムーミン谷の十一月』の中から、シリーズでも一番好きなエピソード二つについて綴りたいと思います。もう今年の8月も終わりを迎え、読書感想文の季節も過ぎようとしていますが、なんとか滑り込みでこの文章を書き上げることができました…!😂

 今回綴るのは、『ムーミンパパ海へいく』より「ムーミントロールと氷の魔物モランの物語」、『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』より「ムーミンママとホムサ・トフトの物語」です。それでは、どうぞよろしくお願いいたします🌻

 

■目次

 

Ⅰ 『ムーミンパパ海へいく』より:ムーミントロールと氷の魔物モランの物語

決して温まることのない存在と、成長していく主人公

 まずはじめに、ムーミントロールと氷の魔物モランの物語から綴りたいと思います。

 ムーミン族は寒さが苦手な生き物として、ムーミン・シリーズ最初の作品『小さなトロールと大きな洪水』に登場しました。そして寒さが苦手なムーミン族や仲間たちにとって、冷たさと死の雰囲気をまとったモランの存在は、シリーズ中長らく無条件に「悪」の側として認識されていました。

 主人公であるムーミントロールは初登場時、一緒に旅をするムーミンママや仲間たちをサポートしたり、持ち前の冒険心から周囲のキャラクターを助けたりもしていますが、まだまだ大人に面倒を見てもらわなければいけない小さな子供でした。そんなムーミントロールも、シリーズが進んでいくにつれてさらに多くのキャラクターと関わったり、危機的状況を切り抜けたり、どんどん内省的になったりして成長を遂げていきます。その彼がシリーズ中でムーミン一家が登場する最後の作品『ムーミンパパ海へいく』にて、「僕達はモランと意思疎通することはできないのだろうか、モランは一体何を考えているのだろうか?」という関心を持ったことから、彼らの関係が大きく動き始めます。モランは冷たいから皆から嫌われるようになったのでしょうか、それとも皆から嫌われたからあんなに冷たくなってしまったのでしょうか?❄️

 

モランの描かれ方の変遷❄️

冷たくて悪どい「不気味な怪物」

 モランが初めて登場するのは、第3作目の小説『たのしいムーミン一家』です。その時のモランは大切にしていた宝石「ルビーの王様」を、小さな二人組トフスランとビフスランに盗まれてしまい取り戻しに来たという役どころです。普通に考えたら貴重品を盗難にあった被害者なのですが、そのあまりにも不気味な存在感と、トフスランとビフスランがムーミン屋敷のお客になっているという事情があるので、逆にモランの方が悪者扱いになっています(この他にもトフスランとビフスランには窃盗癖があるというエピソードが作中で描かれますが、本人たちはそれが悪いことだとわかっていないので周りから不問に処されています。うーん、困った人達ですね💦)。

 初登場時のモランの姿は、挿絵を見るとなかなか不気味です。その最初の挿絵は、真夜中に、ムーミン屋敷の入口ドアの階段の下にトフスランとビフスランを待ち伏せて佇んでいる姿になっています。身体はこれ以降の作品に比べると小さいけれど、無表情に見開いた目がギョロギョロとしており、歯を食いしばった口元も無表情です。そしてこの時点から、彼女(モランは歳をとった女性のようです)の座った地面には霜が降りるという描写がなされています。

 『たのしいムーミン一家』では、この物語がモランの最初で最後の登場になる予定だったような書き方がされていますが、彼女はその後のシリーズでも登場することになります。次作『ムーミンパパの思い出』では子供の頃ムーミンパパがいた捨て子ホームの経営者、ヘムレンおばさんを食べようと追いかけていた化け物として登場し、その次の『ムーミン谷の夏まつり』でも世の中に存在する危険なものの例として言及されます。ここまでのモランは、とても冷たく、地面を凍らせて死をもたらすもの、小さい生き物を食べてしまう危険なもの、すなわち意地の悪い怪物として扱われていました。

 

決して温まることのできない「孤独な存在」

 モランの存在の解釈に転機が訪れるのは、シリーズ第6作目『ムーミン谷の冬』です。この小説で主人公ムーミントロールは初めて、例年は冬眠して過ごしていた冬の世界を、目を覚まして生きる経験をすることになります。

 先日この小説を再読したところ、ムーミンたちの冬眠の期間が11月から4月までだと書いてあって驚きました。つまり一年の半分は眠っており、春と夏と短い秋の間しか目を覚まして生きていないのか…!そんな風にして生きてきたムーミントロールは、初めて見る雪に覆われた静寂と極寒の世界に戸惑い、世の中がこんなに変わるとはモランが一万匹ほど土に座り込んだのではないかと考えたりします。

 この小説でモランが実際に登場するのは、冬にひっそりと生きる住人たちが大かがり火を燃やすシーンです。そこでムーミントロールが目にしたモランは、夏よりもずっと大きくなっていたと書かれています。モランはかがり火に無言で近づいていき、その上に座ります。すると炎は音を立てて消えてしまい、モランは次にその近くに置かれていた石油ランプに近づいていきます。しかしモランが触れるとランプの炎も消えてしまいます。この光景を見てムーミントロールは、モランが太陽を呼び戻す炎(ムーミン谷も冬のフィンランドと同様、太陽が登らない極夜(きょくや)が訪れるようです)を消してしまったと言って動揺します。しかし何度も冬を生きて来た経験を持つおしゃまさん(トゥーティッキ)は、「あの人は火を消したくてあんなことをしたのではない、温まりたいのに決して温まることができないのだ。だからこんなことになってまたきっとがっかりしているだろう」と答えます。

 第8作目『ムーミンパパ海へいく』の中で、モランは浜辺で独り、歌を歌います。それは私の他にモランはいない、自分だけがモランであり、この世で最も冷たいもの、決してあたたかくはならない、というものです。

 

ムーミントロールの成長🌱

冬の世界を生き抜き、一年中を知った最初のムーミン

 このシリーズの主人公ムーミントロールは、物語のスタート時点ではほんの子供でしたが、どんどん成長を続けていきます。第5作目『ムーミン谷の夏まつり』でスノークのおじょうさんと二人だけで他の家族と逸れてしまったりといった冒険もありましたが、その成長の最も大きなきっかけとなったのは、こちらも第6作目『ムーミン谷の冬』ではないでしょうか。

 毎年の通り家族と冬眠をしていたのに、真冬の最中に自分だけ目が覚めて眠れなくなってしまったムーミントロール。初めて体験する冬の気候や雪の世界にも戸惑い、夏の生き物と違って交流を嫌う冬の住人たちにもなかなか馴染めません。しかも氷姫の到来によって住処や食料を失った避難民がムーミン谷に押し寄せ、彼らをムーミン屋敷に受け入れて備蓄食料の管理をしたり、ムーミン屋敷の家主代理として住人間のトラブルを解決することまで求められます。この物語の時点でもムーミントロールはまだ子供なのですが、おそらく数ヶ月の間は他の家族のサポートなしでムーミン屋敷の家主代理を務めたわけです。本当にお疲れ様ですね…!😂

 この物語の中で、新しく体験する環境に戸惑い、自分が慣れ親しんだ世界を恋しく思うムーミントロールは、昔馴染みのリトルミイを含めて、会う人皆が冬が来る前の世界の思い出話に少しも付き合ってくれないことに不満を感じます。ここでムーミントロールは冬が来る前の世界を「あの本当の世界」と呼ぶのですが、トゥーティッキはだけどどっちの世界が本当かなんて誰にわかるの、と返します。

 全てを乗り切った物語の最後に、春になって目覚めたスノークのおじょうさんが芽吹いたクロッカスを見て「ガラスの鉢をかけてあげよう」と言うと、ムーミントロールは「そんなことをしないで、この芽も少しは苦しい目にあう方がしっかりすると思う」と誇らしげ答えます。

 

モランという存在への関心

 ムーミントロールは第8作目『ムーミンパパ海へいく』で、秋の晩にムーミン屋敷のベランダにムーミンママが灯したカンテラの明かりに引き寄せられてモランがやって来てしまったのをきっかけに、モランの存在に関心を持ち始めます。ムーミントロールは翌朝、モランが歩いて霜で駄目にしてしまった庭を歩き回りながら、世界中で独りぼっちとはどんな気分なのだろうと想像します。

 その後もモランのことが気になった彼は、ムーミンママにそのことを尋ねてみるのですが、ムーミンママの答えはこうでした。

 

・モランは怖いけれど危険ではない、しかし冷たすぎるから私達は嫌う。それにモランは誰のことも好きではない。

・誰もモランのことを気にかけないからあんなに冷たくなったのだろう、でもモラン本人もなぜそうなったのかなんて覚えてはいないし、きっとあれこれ考えたりもしないだろう。

・モランは雨か暗闇か、よけて通らなければいけない道端の石のようなもの。モランと話をしたりモランのことを話題にしたりすると、もっと大きくなって追いかけてくるようになるからしてはいけない。

・モランは明るいものを恋しがっているのではなく、明かりの上に座って火を消し、二度と燃え上がらないようにすることが目的なのだから、私達は気の毒がる必要はない。

 

 ムーミントロールがモランに対して興味を持ち、理解してみたいと思ったのは、彼が好奇心旺盛で想像力豊かな空想家の面があるからなのでしょうね。ムーミントロールは自分と違う存在がどんな風に考えて生きているのかに興味を持ち、自分がそういった存在だったらと仮定して、空想ごっこを始めることがあります。ムーミンママの話を聞いて彼は、モランに話しかけてやってもいけないし、モランのことを話してもいけないとはどういうことなのか?と考えます。もし誰からも関心を持たれず、そこに居ても居ないように扱われるならば、モランは生きていようと考えることさえ出来なくなり、その存在も消えて無くなってしまうのではないだろうか…。

 

☆ニョロニョロとモランという存在:「理解し難い不気味なもの」

 モランの他にも、ムーミンの世界には話題にすることがあまりよろしくないとされている存在がいます。それは永遠の放浪者「ニョロニョロ」です。

 ニョロニョロは船に乗っていつも旅をしている、言葉を発しない生物です。水平線に辿り着こうとしているとか、悪い暮らしをしているとか噂されていますが、その実態や目的は誰も知りません。また普段から身体に帯電しており、雷の時は特に危険だとかいった性質は知られています。

 ムーミンパパはその謎めいた存在に惹かれてある時ニョロニョロと一緒に旅立ち、しばらくの間、彼らと一緒に航海を続けます。そしてその結果、ニョロニョロは実は電気刺激だけしか感じることができず、電気が発生する場所だけを探し求めて旅をしているのだということを知ります。ミステリアスで自由、そしてどこかアウトローかつ孤高の存在なのかと思いきや、否応もなく電気しか感じることができない生物であるニョロニョロ。ムーミンパパは雷の下で激しく踊る彼らを見ているうちに、自分はその他にもさまざまなことを感じ、思考して生きることが出来るムーミン族なのだという自覚に目覚め、家族のもとへと帰還します。

 こうして考えると、ムーミンパパもムーミントロールも、世間的にはあまり理解されておらず、接触してはいけないと言われている不気味な存在に関心を抱き、交流を試みているんですね。やはり彼らは親子なのだと感じさせられるエピソードかもしれません。

 

モランとムーミントロールの交流

カンテラの明かりを追って島までついて来たモラン

 さて、ムーミントロールとモランの交流が描かれる第8作目『ムーミンパパ海へいく』です。ムーミン一家が転居するため孤島へ向かった夜、ボートの船首に灯されたカンテラの明かりを追って、モランは海を渡ります(モランは自分自身の冷気で足元に氷の島を作ることが出来るようです)。ムーミントロールは夜にその泣き声を聞き、何かが島にいるらしいことに気づきます。彼はその正体を知りたくなかったのですが、夜の浜辺に美しいうみうまの姿を見に行ったある晩、自分が持つカンテラの明かりをじっと見つめるモランに遭遇してしまいます。

 ここで、ムーミントロールはモランの存在に関心を持ったとはいえ、この時点でもモランを「関わるべきではない厄介ごと」と考えており、積極的に交流したいとは全く思っていませんでした。しかしカンテラの明かりを見ている間はモランはじっとしていて害はないし、自分が明かりを見せに行けば家族の生活と島にも平和が保たれるかもしれないし、浜辺に行けばまたうみうまに再会できるかもしれないと考えて、家族には秘密にして、毎晩浜辺にカンテラを持って出かけるようになります。

 いつものようにカンテラの明かりを見せに行ったある晩、モランはカンテラではなくムーミントロールのことを見つめます。それはとても冷たくて何かに怯えているような目でした。しかしその直後にうみうまが現れ、あなたは私の月の光を邪魔していると言ってカンテラをひっくり返します笑

 月の光の下で踊ることと、その光に照らされた自らの美しさにしか関心がないうみうまにとって、カンテラの明かりは野暮で邪魔なものです。また忌み嫌われるモランと違い、彼らは美しさゆえに賛美される存在でもあります。彼らは自分たちのことを賛美しているムーミントロールにも全然関心を寄せません。カンテラにもムーミントロールにも関心がない点においても、モランと対照的な存在です。

 

凍らなかった砂

 モランが座っている場所は、浜辺でも砂が凍ってしまいます。ある日ムーミントロールは、砂が冷気から逃れるため、とうとうモランの足元から逃げて動き出すのを目撃します。ぞっとしたムーミントロールはその場から逃げ出すのですが、モランは彼を追って島の内側まで上陸してしまいます。もうこんなことがあってはと、ムーミントロールはモランにカンテラの明かりを見せてやるのを止めることを決意しますが、その夜のうちに、島中の植物や岩までも、モランの冷たさから逃れてムーミンたちが住む灯台がある高台へと移動を始めます。ムーミントロールは自分がモランと関わり合いになったせいでこんなことになったのだとひどく後悔します。

 島がそんな状態になった最中、嵐が発生して海が荒れ狂い、島中がおびやかされます。そして嵐が過ぎ去った後、とうとうカンテラの燃料である石油が切れてしまいます。ムーミントロールは、もう二度とカンテラの明かりを見せることが出来なくなったのだから、モランがどんなに失望するだろうかと思い悩みます。

 その晩、手ぶらのままムーミントロールがモランが待っている浜に向かうと、彼を待っていたモランが歌い始めます。それはムーミントロールがやって来てくれたことへの喜びをあらわす歌でした。ムーミントロールは驚きます。モランが去った後、ムーミントロールが砂に触ってみると、砂は凍っていませんでした。それはこれまで決して温まることができなかった存在を、ムーミントロールが温めた瞬間でした。

 この瞬間から、モランは「不気味で恐ろしいもの」から、ムーミントロール、そしておそらくムーミンの世界に暮らす他の人々にとっても、「他の人と同じく隣人のうちの一人」に変化したのでしょう。ムーミントロールはもし今後、自分が約束を守れず会いにいけないことがあっても、モランはがっかりするだろうけれどそれも問題はないだろう、と考えます。友達のうちの一人であれば、すれ違ったりすることも普通にあり得ますよね。しかしそうは考えても、ムーミントロールは優しいので次の晩も約束を守り、ちょっと知り合いに会う用事があるとムーミンパパに告げて浜辺へ去っていき、この物語は終わります。

 

 私はこのエピソードがムーミン・シリーズの中で最も好きです。砂は凍っていなかった、と書くことで、それ以上は多くを語らず残る余情感も非常に好きです。しかしこのエピソードが一番好きとはいえ、私自身は「性善説」といったものを全面的に信じているわけでもありません。もし完全に性善説を貫き、過剰に相手のことを信じ期待しすぎると、場合によってはむしろ必要以上の憎悪をその相手に対して抱くことになったりするのではないでしょうか。ムーミントロールもモランを警戒していたし、完全にモランへの同情が動機というわけではなく、家族と島での暮らしを守るため必要なことなんだと考えて交流が始まっています。しかし結果としてムーミントロールの優しさと友情が、ムーミン一家が登場する最後の作品でとうとう氷の魔物モランを救うことになった、という結末がとても良いなと思っています。

 

Ⅱ 『ムーミンパパ海へいく』『ムーミン谷の十一月』より:ムーミンママとホムサ・トフトの物語

「理想のお母さん」と孤独で空想好きな少年

 それでは次に、ムーミンママとホムサ・トフトの物語について綴りたいと思います。ムーミンママは第1作目『小さなトロールと大きな洪水』で、行方知れずになった夫を探しつつ、まだ手のかかる小さな我が子と途中で出会った子供たちを連れて旅を続けるお母さん、として登場します。一作目では置かれている状況が過酷であることもあり、ちょっと怒りっぽい面があったりもするのですが、シリーズが続いていくにつれてムーミンママは非常に柔和で優しく、包容力があって頼りになる女性としての面が強く描かれるようになっていきます。

 一方、ホムサ・トフトはシリーズ最終作『ムーミン谷の十一月』のみに登場する、空想好きで乗られていないボートに隠れてなぜか一人で生きている子供として描かれます。トフト少年はムーミン谷とムーミンたち、特にムーミンママの存在に強い憧れを抱いており、とうとう本当にムーミン谷を訪れることにします。しかしムーミン一家は前作『ムーミンパパ海へいく』から灯台のある孤島に転居しており、彼らと会うことは叶いません。そこで彼は、同様にムーミン一家不在のムーミン屋敷を訪れた他のお客たちと共同生活をしながら、ムーミン一家が帰ってくるのを待ちわびます。

 頼りになる理想の存在として慕われ、時には嫉妬もされたりするムーミンママと、自分の抱いたイメージを愛する孤独な少年の物語です。

 

ムーミンママというキャラクター👜

陽気で寛大で遊び心にあふれる母

 ムーミンママは、『たのしいムーミン一家』では魔物の帽子のせいで全然別の姿に変わってしまったムーミントロールを、ムーミンパパも含めた他の全ての人々が見分けられなかった中で、これは自分の息子だと見分けられた唯一の存在です。またシリーズを通して、家族や屋敷の滞在者の不調時には温かい飲み物を作ったり、夜食を用意したりして支えてくれる、優しい気遣いの女性でもあります。ムーミンママはシリーズを通して、全てを話さなくてもわかってくれる、他者を受け止めてくれる優しいお母さんという感じの存在だと思います。

 作者トーベ・ヤンソンの言葉によると、ムーミンママのモデルはトーベさんの母シグネさんであり、ムーミンママの陽気で寛大で遊び心にあふれているところはシグネさんの姿そのものであったようです。

 

突然さらされたアイデンティティの危機

 そんなムーミン谷の皆を愛し、皆から愛されるムーミンママなのですが、ムーミン一家が登場する最後の作品である『ムーミンパパ海へいく』で、突然アイデンティティの危機にさらされることになります。それはムーミンパパがこれまでの暮らしから生活を一変させるべく、慣れ親しんだムーミン谷からの転居を決意したことがきっかけでした。ムーミン谷は豊かでムーミンママが愛する植物や生き物に満ちていますが、転居先の孤島は土地が痩せていて生物も少なく、園芸など、彼女のそれまでの生きがいにしていた物事には全く向いていない住処です。ムーミンママはこの転換はムーミンパパにとって必要なことであり、おそらく家族にとっても良いことなのだと信じようとします。しかし今の暮らしに家族は満足しているのになぜ転居しなくてはいけないのか、という素朴な疑問が湧いてくるのを消すことができません。ムーミンママはきっと今までの暮らしが楽すぎたんだ、と思おうとしますが、暮らしが上手くいきすぎていることを悲しんだり、ましてそれに怒ったりするなんてなんだかおかしいわ、と悲しく考えます。

 ムーミンパパが孤島への転居を決意したのは、「一家を支える父」としての自分の存在感が、家庭の中で薄れてきたのにかなり閉塞感を感じたからです。そこで環境を変えれば家族との関係も変化するのではないかと期待します。しかしながらこの物語を読んでいくと、家族の生活がそのように変わってきたのは、おそらく彼の息子ムーミントロールが大人になってきたからではないか、という感じがします(養女になっているリトルミイはもともと独立心が強いですし、そもそもムーミントロールより年上なのでかなり自立しています)。ムーミンパパはなんだか最近皆が自分を頼ってくれないな、ということを物足りなく感じるのですが、それは面倒を見て守っていかなくてはいけない「子供」だった我が子が順調に成長し、もうすぐ独り立ちできるだけの力をつけたからでもあるようです。ムーミンママがなんだかおかしいわ、と感じたのは、我が子の順調な成長は親として誇るべきことなのに、それを嘆いたりするなんてなんだか変だと思ったということもあるでしょう。

 ムーミンパパの家族のために自分が何かしてあげたいと言う強い思いは、島に到着した後、ムーミンママから気晴らしに出来ることを減らしてしまい(ムーミンパパが代わりにやってしまうので)、逆に彼女がムーミン谷を懐かしむ気持ちを強め、ホームシックにしてしまいます。ムーミンママは灯台の中の壁にペンキでムーミン谷の絵を描き始めるのですが、ホームシックが最高潮に達したある日、とうとう彼女は壁の中の絵の世界に入り込んで、家族と寒々しい海に囲まれた孤島から姿を隠します。

 

ムーミンたち」という存在への期待

 この『ムーミンパパ海へいく』の次の作品で、シリーズ最終作となる『ムーミン谷の十一月』では、それぞれ解決したい自分の問題やユートピア的な憧憬を抱えた人々が、ムーミン谷の環境とムーミンたちの人柄に癒されたくてムーミン屋敷を訪れます。こうした描写や、トフト君の話のところで後述するムーミンたちという存在への無条件の期待感を見ていると、私は『悪霊』でニコライ・スタヴローギンが「なぜ皆、誰にもできないことを僕には期待するんだ?」とこぼす場面を思い出します。スタヴローギンは悪党なのでまあいいんですが(?)、ムーミンたちはそれを特に気にしたり苦にしたりしていないとはいえ、なぜ自らを含め誰にも出来ないようなことを、彼らには無条件に望めるんだ?とちょっと思ってしまいます。

 確かに、ムーミン一家は自分らしく懸命に生きることで結果的に自分たちが困った状況に置かれてもそれを解決し、周りの人々を助けたりもしてきました。しかしそれを当然のことのように望んでいいものでしょうか。そうした期待は実現できない方が悪いのか、それとも期待することが間違っているのか。そして期待したことが実現しなかったとしたら、相手との関係は変わってしまうのでしょうか?

 

☆観光地にはオン・シーズンに行った方がいい

 『ムーミン谷の十一月』ではムーミン屋敷を訪れた人々が、ムーミン一家に会えないことの他に、ムーミン谷の様子がなんだか寒々しいことにも戸惑いを感じます。それはこの小説のタイトルにもある通り、彼らが訪問した時期が、もう冬が訪れる直前の11月であることが原因です。ムーミンが暖かい季節の生き物であるように、春夏こそがムーミン谷のオン・シーズンであるようです。

 やはり観光地には、多少混むとしてもオン・シーズンに行った方がいいですよね。私はその方が安かったので、初めていくある土地にオフ・シーズンの冬に行ったことがあります。しかし案の定非常に寒いし、訪れた有名な庭園は水道管の凍結防止のために噴水の水も止まり、庭にある彫刻には全てひび割れ防止のためのカバーがされていて見えないし、オン・シーズンには避暑客で賑わうはずの港は閑散としているし、ちょっとやっちまったな!という感じでした。なかなか貴重な経験をした気もしますが、やはりオフ・シーズンに観光地を訪れるというのは、「その場所の通常の面は十分見たからもう違う面も見たいや」という玄人向けの世界ですね😂

 ちなみにオン・シーズンのムーミン谷の姿が余すことなく描かれているのは、第3作目の『たのしいムーミン一家』だと思います☀️

 

ホムサ・トフト少年について💭

ムーミン谷とムーミンたちに憧れる、母を求める空想好きの少年

 さて、ムーミンママについての話がまだ途中ではありますが、ホムサ・トフト少年について書きたいと思います。トフトはヘムレンさん(おそらく『ムーミン谷の十一月』が初登場)が持っているけれど乗っていないボートの覆いの下で一人で生活している小さな子供です。

 彼は寝る前に自分に自分が作った物語を聞かせるのが好きで、その中でも特に好きなのは「幸せなムーミン一家」のお話でした。自分が作った物語の中で、彼は幸せにあふれるムーミン谷を歩いてムーミン屋敷へと向かい、屋敷の入り口ドアの階段の下で、ムーミンママがそこから現れるのを待っているうちにいつも眠りにつきます。トフト君にとってムーミン谷は幸せな理想の場所であり、ムーミンたちは理想的な存在であり、その中でもムーミンママのことを理想視しています。ところで彼は、他の人から聞いたムーミン谷やムーミンたちの様子をもとに物語を作っているだけで、実際にはムーミン谷を訪れたことがないし、ムーミン一家やムーミンママにも会ったことがありません(「万能の君の幻を 僕の中に作って」いるのか…まるで『LOVE PHANTOM』…🎸)。

 ある日、日に日に、自分が作れるお話がムーミン屋敷からどんどん遠ざかっていっていることに気づいたホムサ・トフトは、本当にムーミン谷を訪れムーミンママに会いに行こうと決意して出発します。

 

ムーミン・シリーズの「親のいない子どもたち」という存在

 ところで、ムーミン・シリーズには初登場時のスニフや『ムーミン谷の夏まつり』で登場する24人の森の子どもたちのように、理由は説明されないけれど親から逸れてしまった子や捨てられてしまった子、おそらく孤児になってしまった子供達が、意外に多く登場します。ムーミンパパも捨て子ホームの前に置き去りにされていた赤ん坊でした。こうした要素は、ムーミン・シリーズが戦時中にスタートしていることが大きく影響しているのではないかと思います。ムーミン谷で意外に多く起きている自然災害は、生活に襲いかかってきた戦争の脅威を彷彿とさせますが、こうした「親のいない子どもたち」という存在は、戦火から逃れる中で家族と逸れてしまったり自分だけ取り残されてしまった子供達の姿を、実は反映しているのではないでしょうか。

 

おとなしいのに突然キレる少年⚡️

 ここで、ホムサ・トフトの印象的な特徴を紹介したいと思います。それは普段はおとなしいのに突然キレることがあるという点です。ホムサ・トフト君は恥ずかしがり屋でおとなしく、無口で内向的な少年ですが、作中で3回、突然激怒しています(1度目はヘムレンさん、2度目はミムラねえさん、3度目はスナフキンに対してです)。彼自身も、おとなしいはずの自分が突然怒りを爆発させることになった理由がいまいちよくわかりません(普段思っていることがあっても何も語らず静かにしており、無意識のうちに様々なフラストレーションを溜め込んでいるからだと思いますが…)。そんなトフト君がキレるシーンはほとんど、ホラー映画やゲームのジャンプスケアのようでもあります👻苦笑

 ちなみに、ホムサ・トフト君が初めて怒りを爆発させる場面の直前に、ヘムレンさんが設置しようとした看板が原因で、スナフキンが狂ったように激怒するシーンが登場します(こちらも結構ショッキングシーンです🤣)。もしかしたらトフト少年は怒りの表現の仕方を、無意識のうちにスナフキンのその姿からコピーしたのかもしれません。突然怒りを爆発させたのはトフトにとってその時が初めてだったようなので、そういう意味では直前に見たスナフキンの怒りがこの行動のきっかけと言えないこともないのかも。そんなこと言われてもスナフキンだって「だからなんだってんだよ」って言うしかないでしょうが…(ちいかわ?🦁)。

 

☆ちなみに…キレられた理由と相手の反応👀

 ここで、せっかくなのでそれらの人々がホムサ・トフト君に激怒されてしまった理由と、その時の反応についてまとめてみたいと思います。

 まず、最初にキレられてしまったヘムレンさんです。彼はこうしたら他の滞在者やムーミン一家の人々にとって良いだろうと自分が思ったことを、トフト君に手伝ってもらいつつ実行していました。しかし、滞在者が皆で一緒に食事会を開いた時、いつも通り自分の考えを述べたところ、「君の考え方ややっていることは全部独りよがりだ」とトフト君にキレられてしまいます。ヘムレンさんはびっくりし、まさかこの少年が自分に対してずっと不満を抱いているなどとは思っていなかったので、大変気まずく感じます。そしてその後一緒に作業するのを頼めなくなります。

 次にキレられたのはミムラねえさんです。彼女はトフト君の髪をブラッシングしてあげている時、会話の流れで「ムーミンたちは憂鬱だったり腹が立ったり独りになりたくなったら屋敷の裏の暗い森へ行くのよ」と話します。すると「そんなのは嘘だ、ムーミンたちは怒ったりなんかしないんだ」とキレられます(前の記事でも書いたけど無茶言うなよ…)。しかしミムラねえさんは会話の途中で彼がキレはじめてもあまり動じず、動き回らないでよブラッシングができなくなっちゃうじゃないと返します。そしてその後も特にトフト君に対する接し方に変化はありません。

 最後はスナフキンです。彼はヘムレンさんとトフト君と3人でお茶をしていた時、彼らが今後どうしようかということを話し合っている最中に「11時を過ぎると風が出てくるぞ」と発言したところ、「皆が話し合ってる時になぜ全然違うことを話すんだ!君はいつもそうだ!」とキレられます(そういうとこがスナフキン)。一緒にいたヘムレンさんはびっくりしてしまうのですが、スナフキンは黙って相手が落ち着くのを待ってから、いやそれは11時を過ぎれば僕たちはヨットに乗れるねって意味なんだよ、と話を続けます。

 こうしてみると、ミムラねえさんとスナフキンはさすがリトルミイの異父姉弟だけあって、肝が据わっていますね👀 彼らは自分のことは割と自分一人でやる主義なので、ヘムレンさんと違って「もしかして自分はトフト君に無理させて手伝いをさせていたんだろうか…?」といった、後ろめたさがないせいかもしれませんが😅

 

「ちびちび虫」とはなんだったのか?

電気を食べる小さな古生物

 このホムサ・トフト君の物語に強く結びついているよくわからない存在として、「ちびちび虫(原文では学名のまま「貨幣石」になっているそうです)」という生物が登場します。この生物について、トフト君はムーミン屋敷に残された本を読んで知ることになります。それは深海の底で暮らす生き残りの古生物のことで、電気を好み、夜光虫に似た小さい体をしており、怯えるともっと小さくなる、とありました。ホムサ・トフトは幸せなムーミン一家の話の代わりに、そのひとりぼっちのちびちび虫のお話を自分に話して聞かせるようになります。

 

トフト少年の肥大する自意識?

 ここまでだと本から知った生物の創作物語を自分に聞かせている子供の話、というだけなんですが、このちびちび虫がこの後なぜかムーミン谷に姿を現します。きっかけはムーミン屋敷にある「開かずのクローゼット」をスナフキンが開いたことでした。この「開かずのクローゼット」、フィリフヨンカには「鍵がかかっていて」開けられなかったのですが、なぜか「ムーミンたちは鍵なんかかけない」と言ったスナフキンには開けることが出来ています。そこもなんだか奇妙ですが、何が入っていたんだろうとフィリフヨンカが中を覗いてみると、埃が積もった上に無数の小さな虫の足跡が残されており、彼女は悲鳴を上げます(フィリフヨンカは虫が非常に苦手です)。フィリフヨンカに呼ばれたトフト君はそこから電池みたいな匂いを感じとり、「あいつは本当にいるんだ、僕が出してやったんだ」と言って相手を困惑させます。

 トフトが見つけた本に記されていた「ちびちび虫」は、ムーミン屋敷の「開かずのクローゼット」に隠れていたということでしょうか?この出来事の後、ムーミン谷では奇妙な激しい雷が発生します。トフトはそれをみて、僕が作った雷だ、これでちびちび虫は大きくなれるんだ、僕は帰ってこないムーミンママを叱ってやったんだ、と考えます。自分の力で雷を発生させるって、ここまでくると全部トフト少年の妄想なのかな?という感じもしますが、この雷自体は他の滞在者も目撃しているので、本当に起きたもののようです。

 さて、姿を現したちびちび虫は雷の電気エネルギーで身体を大きく変化させ、牙だけが妙に発達した以外はおとなしい草食動物の形質を備えたまま、自分の抱える怒りや攻撃性を制御出来ない巨大生物に変化します。そしてムーミン屋敷の滞在者たちがホーム・パーティーを開いた夜、その虫は家の中に入ってこようとして周りを歩き回り、扉に体当たりを始めます。それに気づいたホムサ・トフトは一人、庭に出て行き、自らの存在をうまくコントロールできないちびちび虫に話しかけます。しかし相手は言葉を解しないので埒が開かず、痺れを切らしたトフトが「もう小さくなって隠れてしまえ!このままだとお前はやっていけないんだ!」と叫ぶと、その虫はムーミンパパの水晶玉の庭飾りの中に吸い込まれて、またもとの小さい姿に戻ります。

 怒るのに慣れていない、妙に大きくなった草食動物。これはもしかしたらホムサ・トフトの自意識とリンクしているのではないでしょうか。ホムサ・トフトは本を読んで、進化の過程で隠れてひっそり暮らすことを選んだ「ちびちび虫」の生き方に自分自身を重ねています。大きくなりすぎてコントロールできなくなったちびちび虫の体は、肥大しすぎて扱いきれなくなったトフト少年の自意識の象徴だったのかもしれません。

 ある晩、自分のテントまで訪ねてきたトフト君に対し、スナフキンは「あんまり大袈裟に考えすぎないようにしろよ、なんでも大きくしすぎちゃ駄目だぜ」という言葉をかけています。

 

フィリフヨンカの強迫観念?

 トフト君以外「ちびちび虫」の姿を見たキャラクターはいません。だから完全にトフト君が頭で思い描いただけの存在のような気もするんですが(この物語にはクローゼットの鏡に映った自分の姿をムーミン族のご先祖さまだと思い込んで話しに行くスクルッタおじさんという人物も登場しますし…)、実は姿を見たことはないながらも、その存在を気にしているもう一人の人物がいます。それはフィリフヨンカです。

 『ムーミン谷の十一月』に登場するフィリフヨンカは潔癖で、掃除や料理が好きで、何事もきちんとしていないと落ち着かないというキャラクターです。しかしある日一人で暮らしている自宅で窓拭きをしようと屋根に出たところ、あやうく転落して大怪我をしそうな目に遭い、その時のショックから掃除が出来なくなってしまいます。掃除という生きがいを失ってしまったことにもショックを受けたフィリフヨンカは、気分転換をするべくムーミン屋敷を訪れます。

 そんなフィリフヨンカにとって、「ちびちび虫」を含む虫の存在は不潔と危険の象徴です。その認識は掃除ができなくなったとはいえ変わることはなく、むしろ掃除ができなくなったからこそ自分はそういった存在に対して無力だという危機感が強まってしまっている様子。しかし実は愛好している音楽を楽しんでいる瞬間などには、彼女はそういった脅威の存在を感じなくなっています。別に集中していることがあれば外界にある余計なものは認知しなくなるということなのか、そもそも彼女の頭の中にしか存在しないものだから意識しなければ感じなくなるということなのか?ちょっとはっきりとはいえない描かれ方になっていますが、「ちびちび虫」の実在不在の問題を別にしても、そうした虫たちは彼女にとっての「強迫観念」ともいえる意味合いをまとっています。

 ところで、フィリフヨンカはそうした神経質な自分の在り方が非常に嫌になることがあり、なにか全然違う存在になりたい、ムーミンママみたいになりたい!と思う瞬間があるようです。そこでムーミンママのように屋外で昼食会を開いてみたり、小さな子供であるホムサ・トフトに親切にしてみようと試みたりしますが、なかなか上手くいかず傷つきます(トフト君は自分が嫌な思いをしたくないから親切にしているだけの人も、怖がる人もいらないや、と考えます…なかなか残酷ですね😂)。それでムーミンママへのコンプレックスを感じたりするんですが、同時期の出来事が描かれる『ムーミンパパ海へいく』でムーミンママがアイデンティティの危機にさらされていることを考えると、ちょっと皮肉な展開です。

 ある晩、ムーミン屋敷滞在者たちで開いたホーム・パーティーの終盤で、フィリフヨンカは「帰ってきたムーミン一家」という影絵を披露します。そして一旦全ての明かりを消してまた火を灯そうとしたところ、マッチが見つからなくなってしまい、暗闇の中で参加者全員がパニックに陥ります。なんとか事態を収拾した後、荒れ放題になったパーティー会場をみて彼女の中で何かが吹っ切れたらしく、翌日、フィリフヨンカはムーミン屋敷の大掃除をして谷を去っていきます。

 

暗い、「怒りの森」の中を歩いて🍂

 他の滞在者たちが皆ムーミン谷を去り、一人ムーミン屋敷に残ったホムサ・トフトは、ミムラねえさんから聞いたムーミン屋敷の裏の気味の悪い森の中に足を踏み入れてみます。そこは自分が今まで思い描いていたムーミン谷の景色とは全く違う、自分が頭に描くことなどできなかった新しい世界でした。その薄暗い森を歩き回っているうちに、彼は頭の中にあった「幸せなムーミン一家」の物語の映像が消えていき、それをとても心地よく感じます。そしてその心地よさを噛み締めながら、ムーミンママもここへ来て一人ぼっちで歩き回ったのだと考え、それまでとは全く違った彼女の姿が見えてきます。それまで優しいムーミンママに受け止めてもらうことだけを望んでいたホムサ・トフトは、ムーミンママはなぜ悲しくなったのだろう、そんな時僕は何ができるのだろうと考えます。

 これは、私がムーミントロールとモランの交流の次に好きなエピソードです。愛情というものにはとてもエゴイスティックな面がありますが、自分が受け取ることだけでなく自分は相手に何ができるのか考えることって、大人になっても簡単に忘れてしまいがちだよな、と思います。そういう意味で、これは私にとっていつも心の片隅に置いておきたいエピソードでもあります。

 

 さて、『ムーミンパパ海へいく』の孤島でホームシックにかかってしまったムーミンママですが、嵐がすぎてムーミンパパが我々は海と島に受け入れられたのだと喜び、ムーミンママ自身もここにある物事を無理に変えてムーミン谷のような世界を作ろうとしなくて良いのだ、ありのままの島と海と共に、自分らしく生きれば良いのだ、と考えるようになった時、壁に描いたムーミン谷の中に入れなくなります。それはホームシックの終わりを告げていました。『ムーミンパパ海へいく』の物語は、姿を消していた前任の灯台守が帰還し、灯台にライトが灯ったシーンで終わります。そして『ムーミン谷の十一月』の物語は、ホムサ・トフトが海の上に、谷へと帰ってくるムーミン一家のボートの明かりを見つけ、桟橋へとかけていくシーンで完結します。

 

ムーミンママだって実は優先順位がある

 私は子供の頃、ホムサ・トフトが抱くムーミンママへの期待にちょっと疑問を感じていました。それは「ムーミンママってあくまで“ムーミントロールのお母さん”なんだよね?」ということです。たしかにムーミンママはシリーズを通していろいろな人々の面倒をみてはいるけれど、家庭・種族を超えた、偉大な母性として存在することを期待されているのか…?という。

 そんな誰にでも分け隔てなく優しいお母さん、であることを期待されているような気がするムーミンママなのですが、本当にそういったキャラクターなのでしょうか。当然といえば当然ですが、実は周りに配慮はしているとはいえ、彼女にもしっかり優先順位があるようです。

 例えば『ムーミン谷の彗星』で、ムーミンママはデコレーションケーキを焼いて、息子ムーミントロールと引き取っている子供であるスニフが天文台から帰ってくるのを待っていました。しかし、ケーキの上に書いた文字がうっかり「かわいいムーミントロールへ」だけになっていたため、スニフをかなり傷つけてしまいます(スニフが『ゴールデンカムイ』の尾形上等兵だったらムーミントロールを撃つかもしれませんね)。また、『ムーミン谷の夏まつり』ではムーミンママは毎年こっそり一番大事な人に手作りの木のボートをあげていると描かれており、この作品であげる相手に選ばれたのはムーミントロールでした。スニフには後でお詫びとして祖母の形見のエメラルドをあげてとても喜ばれているし、木のボートはあげる前も後も、プレゼントしない他の人には気づかれないようにしていると書かれているので、気遣いとリカバリーもしっかりしてはいますが、基本的には彼女は「一人息子ムーミントロールの母親」であることは揺るぎないわけです。

 

 ところで、フィリフヨンカのことを考えると、うっかりスニフを傷つけてしまったり、『ムーミンパパ海へいく』の中で悩んだりするムーミンママの描写には、「理想的に見える人だっていろいろあるのだから、あなただってあまり気負いすぎなくて良いはず」という、作者トーベ・ヤンソンさんからのメッセージを感じたりもします。

 

まとめ:自分の存在と他者の存在、その両方を尊重するムーミンたち

 ムーミンたちという存在と、ムーミン童話の独特の世界観を形作っているのは一体なんでしょうか。その核心にあるものについて、フィンランド文学研究家・高橋静男さんは、それは「思いやりを深くして、自分らしく生きる」こと、すなわち「自他ともに愛すこと」であり、「生命への限りない慈しみ」を知る者にだけできることだと、『ムーミン谷の冬』の解説の中で述べています。

 ムーミン谷では困ったことが意外と多く起きますし、困った人達もたくさん登場します。だから状況的には実際の人間社会とそこまで変わらず、そのままで「楽園」といえるような世界でもありません。つまり『ムーミン谷の十一月』で訪ねてきた人々が求めていた環境は、ムーミン一家という存在があってこそ実現されていたということなのでしょう。ムーミンたちも困った状況になると戸惑ったり怒ったり悲しんだりしますが、我を押し通して相手を潰すのでも、逆に相手に服従するのでもなく、程よい距離感をなんとか探ることによって、物事を解決していきます。今回綴ったムーミントロールとモランのエピソードも、ムーミンママとホムサ・トフトのエピソードも、自分と他者の存在両方への尊重が重要な鍵になっている物語だと思います。

 ムーミン童話は、自分と他者は違うのだから、どこかに分かり合えない部分が残ったとしても、それでも互いを尊重して共に生きることは出来るのだということを伝えてくれる物語だと思います。作者トーベ・ヤンソンさんが「現代の神話の創造者」と呼ばれるのは、現代社会にこそ必要なメッセージを物語を通して伝え続けてくれているからなのでしょう。

 

 さて、私の今年の読書感想文はこれで出来上がったようです(?)。今回もお付き合いありがとうございました。それでは、また!📚

 

2019年にムーミンバレーパークに行ったときに撮った写真です。ムーミン一家の他にも、この記事でとりあげたフィリフヨンカやホムサ族の少年が映っていました🌸